2008年07月31日

Terrence Malick, Days of Heaven(天国の日々), 1978

間違って見ることになってしまった映画。三年前に一度見たことあったので、途中で出ようと思っていたのだけれど、結局最後まで見てしまった。自分の記憶を確かめたかったという理由もあるにせよ、やはりこの映画はちゃんと魅せる。

カメラはNéstor Almendros。この人はロメールとかトリュフォーとかフランス映画をたくさん撮っている人。ひたすら自然光だけを使って、一面の麦畑を撮る。しかも、夕方の撮影ではマジックアワーでしかやんなかったらしい。マジックアワーは20分だけしかないので、とんでもなく日数がかかったことでしょう。しかもエキストラもたくさん、バッタもたくさん。長時間露光撮影なんかもしているし、最後には一面の火事になっちゃう。あと、よくわかんないけど、子役の娘さんがある程度大きくなるラストの撮影って、ほんとに時間たたせてから撮ったものじゃあないでしょうか? ちなみに、音楽はエンニオ・モリコーネ

つまんない映画だったら、二回目見るときは集中力落ちると思うけど、いい映画の場合は二回目のほうがよく見える。これは、やはりクラシックな映画だと思います。映画の中で、最も詩的な映像をもつものの一つです。



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2008年07月30日

Robert Bresson, Pickpocket(スリ), 1960

例によってストーリーはほとんど分からなかったが、まあそんなものはあってないようなものだ。実はブレッソン初体験。よく映画好きを気取っている連中が「ブレッソブレッソンブレッソン」とか言ってそうではないか。なんか日本の映画マニアみたいなのって、オタクのくせに偉そうにしているんだよな。まあ、そんなことはどうでもいい。

とにかく、この映画の特長は、ひたすら画面が暗いということ。夜の映像とかだと、ほとんど闇という映像になるんだけれど、日中でも輝度がすごく低く抑えられている。これは、目の弱い人のための配慮ではきっとない。

もう一つの特長は言うまでもなく、見事なスリのシーン。もう芸術的な手の動き。見事な沈黙の連携プレー。これ、外国旅行にいく前の日本人に、外国のスリの手口としてみんなに見せるべきだと思う。まあ、最近は、もっと乱暴な手口だとは思うが。ここで見られるのはとてもジェントルなスリ。これ、スリの親分役の人はやっぱり手品の人なんだって。つうか、手品師だったら、スリなんて簡単だろうなあ。そう、だから、まるで手品のようなスリ。それが見事なカメラで見せてくれる。スリの映画ってほかにあんまり見たことないけど、これがあんまりすごいのでほかに撮ろうという人がいなかったんだろうか。

もう一つの特長、というか見所は、きれいなきれいな女優さん。女優というより、ブレッソンなので素人さんらしいのだけど、Marika Greenという人。これだけきれいな肌できれいな人を、単に隣人、というだけで出させ続けるはずがない、というお約束、というか、美人性(?)がもたらす必然的な展開を最後で見せてくれることになります。ただ、残念なことに、この方、ほかの映画にはほとんど出ていない。まあ、素人にこれだけ美人な人がいるんだし、わざわざ高い金払って俳優雇うことはないよな、という感想を、映画史を知らないでいるのなら持ってしまいそうだ。もちろん、ネオ・レアリスモのフランス的展開であるからにはそのへんは当然なんですが……。

この映画、セリフもそれほど多くないのだから、無声映画時代に作られていてもよさそうな題材であるかに思えるんだけれど、この映画はやはり50年代以降でないと登場しえないものだ、という気もする。きっと、ドゥルーズがいうように、「触覚的視線」がそのポイントなのだろうけれど、そういうものがある時期から可能になった、というのはやっぱり不思議なものだ。



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2008年07月29日

黒澤明、野良犬(Stray Dog)、1949

バディ刑事もの。しかもそれが三船敏郎と志村喬。これは絵に描いたようなコンビ。しかも、志村喬なんか、もうまるで志村喬のために用意されていたかのような絶妙の役柄で出てくる。あんまりにもはまり役すぎるんですけが、これ。ああ、こんな完璧に役になりきれる俳優いまの日本にいるのかなあ。つうか、こんだけモノホンな刑事役できる俳優ほかにいないか。ふてぶてしい女盗人役の岸輝子もすごい存在感だ。そしてこれは淡路恵子のデビュー作。彼女がわっと泣き出すシーンなんか、もし『日本映画史』をゴダールに対抗して作る気があるならぜひ入れてほしい。ああ、こんだけの俳優が出てくる映画、黄金時代ですなあ。あと数十年もすれば、「日本映画の黄金時代」と言っても多くの人がぴんとこなくなるんだろうか。悲しいことだ。

そんで、これ、黒澤嫌いの人がもしいたとしても、それなりに見られる映画だと思う。宮川さんの『羅生門』ほどじゃないにせよ、きれいな絵をとるじゃあないですか。
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上のシーンなんか、当時の東京の、それほどきれいとは言えないであろう風景を見事な絵にしている。手前に(ちょっと気障だけど)ハーモニカを吹く青年、中央の台の上に主人公、横下から近づく岸輝子、その後ろに風になびく店ののれん。ここは静止したシーンだけど、二度にわたる三船が本格的な復興以前の東京の街を歩き回るシーンなんか、映像資料としても貴重なはずだし、見ていても面白い。これ、戦争でなんにもなくなってそのへんに人がぶらぶらしている東京、そういう東京を面白い題材だなと思ったんだろうなあ。当時の日本には、そういう監督さんがいて幸運だったなあ。カメラは中井朝一。あ、そうそう、野球場のシーンなんかも、当時の雰囲気がよく出ていてかなりよい。川上哲治とか出てるし。

お話しは、これ以降使い古されることになるパターンなわけで、古臭いかもしんないけど、これが元ネタであるってことなんだよね。んで、とっくみあいのあとで、花や蝶々が写ったりするのは黒澤っぽい安っぽいシーンだなあとは思うものの、まあそういうものだと思っておけばよい。黒澤が好きにせよ嫌いにせよ、この時代の映画っていうのは有無をいわさない価値がある。なんというか、自分の国の古い映画っていうのは、なんだかわかんないけど、ありがたいものだなあと感じます。



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2008年07月28日

郭在容(Kwak Jae-yong), The Classic(ラブストーリー), 2003

『ラブストーリー』を今頃になってようやく見られた。でも、40年もたつ前に見られて良かった。これは不思議な映画。こんなにこてこてで、演出過剰なのに、それでもまあ許せるかなって感じちゃう。それはきっと第一に、主役のソン・イェジンとチョ・スンウが異常なくらいいいからだと思う。超絶美少女に、それと気づかせないように演技する盲人の役。これはありえない。日本の最高の俳優さんを男女ペアで出してきても、これほどにはならないと思う。そして、韓国映画ではいつもこういう無茶苦茶な俳優さんが出てくる。いったい何なんだ。きっと、こういう「古典的な」演技をできる人がほかにはいないんだろうな。日本の役者さんはどこか「影」のある演技しかしないし。

「クラシック」というのが原題であるほど、これは古典映画を意識しまくっている。「古典」というのは、きっと韓国のメロドラマの伝統なのだろうけれど、その伝統というのは、間違いなく日本のメロドラマに源流があるはずだ。だから不思議なことだけれど、日本人の私はこれを、日本の古典恋愛映画の一種のリメイクのようなものとして楽しむことができた。こういう感覚、欧米なんかの人には分かんないだろうな。でも、50年代の黄金時代を映画と共に生きた日本人なら(私は違うけど)、泣いて喜ぶ映画であるのは間違いないと思う。

まあ別にそれほど日本のメロドラマに思い入れがあるわけでもない私だが、それにしても、この、いかにも5・60年代な感じの恋愛ものを、お隣の国で恥ずかしげもなく堂々と完璧にやっちゃうここと、それを可能にする完璧な俳優さんたちがいることにやはり感激してしまう。しかし、日本映画が解禁されたのは最近だというのに、どうしてそういうことになっているのだろうか、不思議だ。

でもまてよ、この映画、こてこてだけど、クサイというほどではないような気がする。というか、ここまで型どおりの演出をしてくれると、いっそ潔い、という感じがする。これは、クリシェというものの、新しい使い方、というか、クリシェを通じてある爽やかな境地に到達していると言えるのではないでしょうか。なんというか、やはり不思議な映画です。



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2008年07月27日

1919年までの映画のリスト

メリエス『月世界旅行』1902
ポーター『大列車強盗』1903
メリエス『不可能世界の旅』1904
メリエス『極地征服』1912
フイヤード『ファントマ』1913
ペストローネ『カビリア』1914
『國民の創生』1915
フイヤード『吸血鬼』1915
『イントレランス』1916
フイヤード『ぶどう月』1918
『スージーの真心』1919
『散り行く花』1919
『カリガリ博士』1919
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2008年07月26日

Clint Eastwood, Pale Rider(ペイルライダー), 1985, 116min

イーストウッドの作品なら外れがないだろうと思って、「西部劇」のカテゴリーから一本選ぶと、やはりアタリだった。80年代に完璧な西部劇を再現してしまったということにだけでもびっくり。採掘現場とか、テレグラムとか、銃とか、服とか、電車までもそれっぽい。イーストウッドも超かっこいい。これはすごい。ちらちらたき火の光が男たちの顔を照らす美しい夜の談合のシーンでは、開拓者たちの生き様というものを見事に語ってくれる「アメリカ講座」にもなっている。感歎感歎。

イーストウッド監督の腕が恐ろしいほど冴えているのは、冒頭の襲撃シーンから分かる。駆け回る人々、引き倒されるテント、牛までも演技する。黒澤なんかとは雲泥の差がある。でも一番感心したのは、英語の見事さ。牧師であるイーストウッドが敵からの買収を断るときの

Can't serve God and mammon both.
Mammon being money.

というセリフ。簡潔だなあ。ほかにも、サラに吐く

It's an old score and it's time to settle it.

とか、痺れます。scoreとか、こういう使われ方をするのは中型辞書に載っていない。そういう、古い英語がけっこう出てくるような気がする。tin pan っていうのはminerのことだろうけど、これもLDCEには載ってなかった。ほかにも、much obliged(=thank you)とか。古い英語だけじゃなくて、この映画のセリフはほんとに魅力的で、英語という言葉にあこがれてしまいそうだ。イーストウッドが最後'Long walk'とだけ言って去っていくのもかっこいい。英語って簡潔な言語だなあ。日本語じゃあどうしったってこうはなんないもの。

「イーストウッドが強すぎる」という意見もあるようだけれど、そうは思わない。最後の闘いの一連のシークエンスでは、リーズナブルな強さ、というか、頭脳戦を見せてくれる。西部劇でこういうの、いいよなあ。靴についている金具(あれ、西部劇の男たちがつけているものだけど、具体的にどう使うものなんだろう? 馬関係だとは思うんだけど……)がシャンシャンというのも、効果音になっていて気持ちいい。とにかく演出が見事だよなあ。



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2008年07月25日

Johnny To, 鎗火(The Mission), 1999

そうか、映画を作るということはこういうことなのか、と思わせる映画。登場人物のキャラクターの描き方、説明をできるだけ省いてシーンだけでストーリを分からせる手法、そして緊迫感とは何か、ということ。一つ一つ見ていこうではないか。

まずキャラクター。主役は五人の男たち。こいつらがみんな個性的。ありえないくらい。Shinだけが途中まで影が薄いけれど、最後に……。そうか、キャラっていうのはこうやって描くんだよな、というお手本を出してくれている感じ。しかも五人同時だよ。監督さん、ほんとに映画を勉強されています。それがよく分かります。

次に語り。多少観客を置いてけぼりにするかもしんないけれど、とにかくテンポがいい。きっとセリフがあまり理解できなくてもストーリーは理解できるはずだ、そんだけ映像がちゃんとしゃべっている。しかも、この監督独自のやり方で。スタイルというものとは何なのか、ということを教えてくれているような気がします。監督さん、ほんとにしっかりとしたヴィジョンを持っています。

そして緊張感。一番初めに撮ったというショッピングセンターのシーンの見事なこと。こんなシーン見たことない。

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五人が銃をもってじっとしているこのシーンでは、とてつもなく美しい緊張感を味わわせてくれる。これは、今までのアクション映画と呼ばれるものが未だかつて獲得したことがないものだったと思う。それがとくにこの映画の醍醐味なんだけれど、銃とかアクションとかっていうのは、緊迫感を出すための道具にすぎないんだよね。だからこれはほんとはアクション映画ではないはず。アクションではなく、むしろ、アクションが起きる「前」の凍り付いた時間のほうに重点があるのだから。

これだけストーリーがちゃんとあって、動きもある映画なのに、ある一瞬の時間の緊張感というものを、私たちが生きているそのままの形で届けてくれている、ことに驚いてしまう。不思議だ。



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2008年07月22日

Bouli LANNERS, Eldorado, 2008

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ベルギー映画。フランス語がほとんど聞き取れないので、細かい会話は理解できないけれど、それでもけっこう面白い。話が分からなくてもそれでも面白い、というのは変な話で、だからこそ映画なんだと思うのだけれど、それもこれがいい映画だからこそだ。

二人の変な男の珍道中といった話だけど、一つ一つのカットがけっこう見せるし、切り方も悪くない。主演の片方は監督自身で、ふっとい中年親父で、もう片方はAddeという赤い唇が目立つかわいい若者。この二人の組み合わせがいい。途中でちんぽ丸出しのおっさんにお世話になったりするんだけれど、そのへんもばかばかしくてよい。なんというか、偶然であった男二人の、お互いに互いをぜんぜん尊敬はいていないけれど、友情といえなくもない関係が微妙な感じでよい。これこれ、Down by Rawで最後まで見せてほしかったのはこれなんだよな、という感じがした。まああれほど映像がすごくないにせよ、コミカルなところとか、シーンのセンスがよいところなんかは似ている。というか、そういう同じような設定で今でも映画作れるんだからすごいよな。永遠の定番というか。

わかんないけど、すごい低予算の匂いがするこの映画、映画学校の生徒とかに見せておくにはもってこいな感じ。ほら、こんな簡単な道具で映画は撮れるんだよ、みたいなそんなお手本の一つを見せてもらった気がしました。
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2008年07月20日

Federico Fellini, Amarcord(アマルコルド), 1973

舞台は1930年代、イタリア、リミニ。フェリーニ、ニーロ・ロータ。誰もがこの『アマルコルド』については一言あるのではないかと思う。ここでは不肖私めの意見を披露させていただこう。

なになに、「誰もが経験する若いころの思い出」だって? んなあほな。誰もがあんな馬鹿でかいタバコ屋のおばちゃんにもてあそばれるのか? 誰もが近所総出で海に漕ぎ出して巨大な船を夜中に見るのか? 誰もが・・・まあいい。とにかく、自分に共通するような体験だけ抽象的に取り出して見るなっつうの。そうじゃあない。確かに、フェリーニの子供時代の体験そのものはあなたのそれと同じようにいくらでも凡庸でもありえる。だがこの監督は何を思い出しているのか、それは個々の体験というよりも、町の人々の絶え間のない活気ではないかしらん。

映像の魔術師、とかいうと、「映像」ってのはとにかく静止した絵のようなものを思わせる愚鈍な言葉であるのだけれど、フェリーニが何よりすばらしいのはその動きの撮り方にあると思うんだよね。8と1/2でも、一番わくわくするのは、主人公がテーブルの下にもぐりこむところだったでしょ? 『ローマ』でもみんながわいわい外で大量の食事をして、そして誰もいなくなるその一連の動きがすばらしかったでしょ? ここでも、映画館のシーンで、みんな一緒になって振動しながら映画を見ていて、それだけもすばらしいのに、突然「雪が降っている!」と、そのすばらしい共有体験を中断してまでみんなが大慌てで雪を見に行くところ。この一連の動き。はっきり言って、『ニューシネマなんたら』なんかとは比べ物になりません。絶句もの。そしてこの映画のほとんどのシーンは、ホテル関連のところは退屈だと思うんだけど、こういう超絶的なシーンで構成されていて、そりゃこれだけとれるんだったらなんだって好きなのとれて、世界中の映画賞そうなめにできるよな、という感じ。

子供時代の思い出を撮る、それだけでこれだけすごいシーンがたくさん出てくる、ということ、それはつまり、この人は子供時代から芸術家の感性をもっていたということなわけ。いろんな面白い人々に囲まれて、いろんな出来事があった、そのときの興奮を、人々の動きをこれだけ再現できるんだからね。ファシストの行進のシーンなんて、政治なんかとはまったく関係なく、ただみんなの動きの面白さだけがあるんだもの。そして、ラストの結婚式のシーン。なんと愉快でなんと美しいことか。絶え間のない人々の動き。一人で花束を拾う少女。こんなにすばらしく結婚式を撮れる人ってのはそういない。これはすごいぞよ。

というわけで、私にはこれは「パーソナルなフィルム」というよりも、どんな感性をもった人間がのちに芸術家になるのか、という見本のような映画だと思います。



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2008年07月19日

Francis Ford Coppola, One from the heart(ワン・フロム・ザ・ハート), 1982

不思議なことに、未だにこの映画は批評的には酷評されているみたいだね。まあ少なくともフランスのあるシネマテックはこれを過去の名作の一つ扱いしたラインナップにいれているんだけど。アクターズ・スタジオインタビューのときにも、コッポラはこれを気に入っているみたいな感じで語っていたような気がするなあ。そんとき、彼が自分で気に入っている作品と、そうでない作品と、批評家の評価がずれまくっている、みたいな不幸な経歴をもっていると自分で思っているような少し複雑な印象をコッポラに見たのは、そのせいだったのか、と納得しないでもない。まあ、批評家ってのは馬鹿だよね。

allmovie.comの評価を読むと、作りすぎているとか、主演の彼がぜんぜん合ってないみたいなことを書いているのだけれど、そのへんが良いところなのであって、やっぱりまったく分かってない感じ。空が本物なのか偽物なのかわかんないところも、ラスベガスっぽくっていいところなんだけどなあ。そもそも、ラスベガスって夢を題材にした街で、夢のない二人が一晩夢をみるって話で、現実感がないのは当たり前で、現実感のなさ、みたなものこそが一つのテーマだと思うんだけど、どうよ? これ、複雑な作りだと思うんだけどなあ。そして、ラスベガスという街を舞台に、こんな冴えない二人を持ち出してくるあたり、センスいいと思うんですが。少なくとも、現実感ってのがここでは少し複雑なことになっているということ、そのことくらいは最低限理解しておいてから批評してほしい。まあ映画批評家なんてほとんど馬鹿だからしょうがないとは思うんですが。なんというか、このさえない男が、最後に搭乗口でyou are my sunshineなんて歌うからいいと思うんだけどなあ。うーん。

そして、思うに、コッポラは映画マニアすぎなんだよね。これも過去のミュージカルへの独自のオマージュがこもりすぎみたいなところがある。ただそれがちょっと想像力にあふれ過ぎなんだろうね、普通の人にとっては。でもこの無駄にゴージャスな感じ、好きだなあ。Nastassja Kinskiのシーンなんかすごいよい。ちなみに、撮影はストラーロだよ。

それと、これ、トム・ウェイツ音楽なんだね。タイトル始まるまで知らなかった。しかも、彼自身歌っているし。少し彼っぽくないアレンジかもしらんが、確かに、ウェイツの才能ってのはこういう音楽を作るのに最適だ。あ、こういう使い方があったのか、と驚かされたなあ。そういうところも、コッポラはセンスがいい、というか、よく知っているなあという感じ。

ちなみに、これ見ていたとなりのおじさんはぼろぼろ泣いていましたよ、最後。恋人と別れた経験があるとかいう人におすすめですね。それと、4th of julyって、フランスでも似たようなのがあるけど、あれって花火大会の日くらいのもんだと思っていたけど、アメリカ人とかにとってその日がどういう風に特別なのかちょっと分かった気がした。まあどこか間違っているような気もするのだが……



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