2008年11月28日

Antoine de Maximy, J'irai dormir à Hollywood, 2008

J'irai dormir à...(……で眠りに行く)というTVシリーズがフランスであって、こないだ友達に教えてもらった日本編を見たところに、この映画のバンドアノンスが流れていて、あーこれかと思っていたのだった。よく見ると出ている人同じだし。で、世界中を舞台にしているこのシリーズをアメリカを横断する今回のやつを映画版として持ってきたという感じ。まあテレビでもよさそうだけど、これは面白い企画だし、映画として残しておくのも悪くないし、劇場でこれを見て知らない人と一緒に笑い転げるっていう体験もけっこう楽しい。

で、アメリカ。この国はすごいね。知らないよ、どう撮ったかなんて。なんか偶然を装っているけど、何日も同じ町にとどまっていい絵が取れるまで粘ったかもしんない。でも、たとえそうだとしても、ここで出会う人々やそれぞれの町の雰囲気とかちょっと想像を絶するものがある。セントラル・パークで出会った体柔らかいご夫婦も最高におかしいし、電車でであったこれから刑務所に行くって言うベトナム帰還兵もすごい。ケイジャンの人や、ナバホの人たちや、ニューリーンズもすごい。で、砂漠を走っていたらいきなり非現実なラスベガスに入るのもすごいし、海辺で寝泊まりしている40台くらいの人もすごい。

これ見てると、人と知り合って、その人の生活を知るのってとんでもなく面白いことだなあって思うわけ。なんか、不思議なことに、それぞれの人がとても愛おしく感じられてくる。なぜ映画でしか出会ったことのない人たちに、不思議な親愛の情を抱いてしまうのか。きっとそれは普通の映画でも感じることなのだろうけれど、ドュメンタリー映画だからこそ、そのことを改めて発見することができた。ドゥルーズは『シネマ2』で世界への信頼を取り戻させることが映画の役割だなんてことを言っているけれど、私は人々への愛を取り戻させることが映画の役割だと言いたい。そして、この映画はまさにその見本のようなものだと思う。
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2008年11月27日

Alfred Hitchcock, The Ring(リング), 1927

これはLa Cinémathèque de Toulouseの50周年ということを記念して上映された。なぜかというと、これは一度失われた後、映画館の近くのSt. Serninのpuce(ノミの市)で発見されたという曰く付きの映画だかららしい。それでかどうかはしんないけど、初めてCinémathèqueで上映されたとかどうとか。とにかくいつの話なのかは定かではないし、本当かどうかもよくわかんないけど、とにかくヒッチコックの無声時代の映画ってのは初めて見た。

で、ヒッチコックってのは20年代から70年代まで映画を撮り続けた人なわけで、映画の変化ってのを自分で引き起こしつつ変わっていった人なわけだ。なので、さすがにこの映画を観てもヒッチコックっていう感じはそれほどしない。無声映画時代の上手な映画という印象。でも、ところどころに結構実験的な手法が使われていて、熱心な人なら「ここがヒッチコックだ!」とか言えそうな感じはする。

11月26日がこの映画館の記念日だというのは、こちらに自分が来た記念日と一日違うだけで、なんだか運命的な結びつきを感じないわけにいかない。おもえば、この映画館があるおかげで、外に頻繁に出るようになったし、フランス語も覚えたし、ずいぶん助けられたような気がする。
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2008年11月25日

James Gray, Two Lovers, 2008

去年ちょうど同じ時期に見たこの監督の前作 We Own the Night(アンダーカヴァー)はこちらに来て初めて見た映画だったので、同じ監督の映画を二年続けて見れるというのはなんとなく嬉しいし、ある種の運命を感じる。去年のは同じJoaquin Phoenix主演だったけれど、どこか焦点を絞り切れていないような、消化不良な感じの映画だった。すごい力量はところどころ感じるのに、充分活かせていないような感じ。ところが今作はトレイラーを見た時点でかなりやばい気がした。実のところ、予告編でここまでびびっときたのは、ティエンチュアンチュアンの『小城之春』やホウ・シャオシェンの『百年恋歌』以来だし、欧米の映画の予告編でマジでびびっとくることなんて今までなかった。ところがこれだ。

映画作品のなかには、好きとか嫌いとかそういう次元を超えて、自分ととても直接的な関わりを持ってしまうものがごく稀にある。そういう映画ってのは、自分が今まで生きてきた人生に食い込んでくるので、いいとか悪いとか客観的に見れるのじゃなくて、そこに描かれるもののうちにそこに描かれていないものを生々しく見てしまう。そして、不思議なことに、そのように見られるように撮られている映画というのはあるのだ。俳優がその存在自体からしてとてもよいとか、アパートの使い方が上手いとか、会話がとてもよいとか、間が上手いとか、そういうことはすべて外面的なことであって、そこでほのかに揺れ動いているあこがれや寂しさ、どうしようもない思い、ぱっと燃え上がる嬉しさ、そういういろんな情念を私たちに直接与えてくる、それが映画だし、そうした情念の抱き方をするようになってしまうある種の人生というものを語ることなく語っている、そういう映画。

夏くらいからいろんな映画を観て、いくつか心に残る傑作に出会ったし、映画って面白いなあって心から思っていたけれど、でも自分が映画と直截な関係をもっていることはほとんど忘れていた。というのも、こういう映画にはここんとこ本当には出会わなかったからだ。とっても残念なことに、人との出会いでこうした映画との出会いほど強烈なものというのはほとんどない。きっと人間は映画より複雑で、知るのに時間がかかるからだと思う。にしても、映画ってのはほんとにダイレクトでありうるものだ。そのことを久しぶりに思い出してしまった。



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2008年11月21日

Sam Wood, A Night at the Opera(オペラは踊る), 1935

マルクス兄弟傑作コメディ。これはもう腹がよじれて、声として「ハハハ」じゃなくて、「ククク」の次元も通り越して、「……」とほとんど無言で悶絶しなくてはならなくなっちゃうほど笑える。笑い死にするかもしれないので、心臓の弱い人は注意しましょう。

冒頭からいきなり唐突におかしなシチュエーションで、強引に笑いをとっていくその感覚、こいつらは絶対どこかおかしい。狭いキャビネに次から次へとたくさん人がはいっていっぱいになって、そのなかで平然とネイルしたり、最後には料理がきてお皿の上をすべっていくシーンとか、とにかく動きのおかしさが天才的。一つ一つのアクションをじっくり見せるチャップリンとは全然違う、混沌としたアクションの連続。船の上でのコンサートみたいなシーンでは、動きと音楽の面白さが一体になってなんともいえない充実した幸福感を与えてくれるし、最後のオペラのシーンではもう観客の悶絶死をたくらんでいるとしか思えないおかしさ。これは犯罪にならないのだろうか??

マルクス兄弟がなぜあれほど神格化されるのか、その理由がこの映画を観て分かった気がする。いままで、ビデオとかで見てもあんまりピンとこなかったんだけど、やっぱりスクリーンでみると、面白さの質が違ってくる感じ。チャップリンならTV画面で見ても面白いかもしれんが、マルクス兄弟はスクリーンが最適だと思った。これは、「笑える」という人間の感情をとことんまで追求してできた狂気の傑作だと思うのです。



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2008年11月07日

Josef von Sternberg, Morocco(モロッコ), 1930

クーパーとディートリッヒ主演のこの(日本では)有名な映画、まだ若かりし頃に見たことがあったはず。でもそんなことはすっかり忘れていた。にしてもいい映画だ。こんな昔の映画がこんなに私たちを満足させてくれるというのはどういうことなんだろうね。

こういうのを見て恋っていうのが、女と男っていうのがどういうものなのか勉強するものなんだよなあ。初めてのバーでのやりとりの一つ一つをみなさん暗記しておいてほしい。どんなタイミングで、どんな言葉をかけるべきなのか、そういうことを勉強してほしい。これが完璧な男っぷり女っぷりというもの。ほんとーにかっこいい。そうそう、こういうのをかっこいいと思えるってこと、ということに自分も大人になったなあと感じるなあ。まあ、あれを実行できるかどうかはまた別だけどさ。

んで、何がすごいかっていうと、ディートリッヒが遠くから聞こえてくる楽隊の音を耳にして、はっと立つシーンだよね。あれだけで、彼女がクーパーのことをどれだけ愛しているのかが全部分かっちゃう。すごいよなあ、これが1930年ってことは、トーキーが本格化した初めての年だよ? すでにこの音の使い方。そんで、彼女のネックレスがひっかかってちぎれちゃうところなんか、演出として最高のものだよね。この監督、ほんとに偉大だってことがよく分かりました。

クーパーってでもいっつもこういう役の気がするけど、いいよねえ。ディートリッヒも容赦なく貫禄を見せてつけてくれる。なんてゆーか、こういう美男美女が哀愁漂う恋をする映画って、古い映画でしかないんだよねえ。どうしてだろ。大人の恋ってほんとにいいよなあ。男装、存在そのものが芸術的なディートリッヒ、そして退廃的な雰囲気、これが映画史において非常に重要な作品であるということは、この映画から漂うたとえないようもない高貴な雰囲気から分かるというものです。ほんとに。



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2008年11月06日

David Hackl, Saw 5, 2008

第一作の"Saw"はけっこう面白くて興奮した記憶がある。んが、この「5」は何なんだ。ひたすら悪趣味で、「1」のとき感じたサスペンスみたいなものが何もない。でもたくさん人が来ていたから、みんな人が死んだりするのが大好きなのだと思う。個人的には知らない人が凝った仕掛けで死んだりお互いに殺し合ったりするのを見るのはそんなに楽しくない。どちらかというと、弱い立場の人間が逆襲したりする方が好きなんだけどな。

で、「1」はけっこう面白かったのに、どうしてこんなになっちゃったのか。この変転ぶりは、映画ってものが陥りやすい罠を示しているのだと思う。安易ってことはどういうことなのかってことがこの映画を観ればよく分かる。まああんまりにもくだらないからいちいち分析したりしないけれどね。にしても、この映画、別れたい相手とかを連れて行くのにあまりに最適だと思う。



タグ:David Hackl
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2008年11月05日

死ぬまでに見たい1001の映画 2008年版

1001 Movies You Must See Before You Die"の最新グレートブリテイン版を手に入れた。先日、数年前のバージョンのリストを無理矢理ぶち込んでおいたが、こっちのは最新版なので2007年までの映画が入っている。2004年から見てみると、さっそく
Collateral (2004)
The Aviator (2004)
Million Dollar Baby (2004)
が消えて、代わりにファティ・アキンの『愛より強く』、キム・ギドクの『スリー・アイアン』、『クラッシュ』、『ヒトラー 最期の12日間』などが新たにエントリー。面倒なので途中はとばして、最後の写真は『つぐない』のキーラ・ナイトレイになっている。『ディパーテッド』とかさっそく次の版で消えることが間違いないと思われるものもエントリーしているが、こうして最近の映画を紹介しておいてくれると、見逃した映画が何だったのか明快になって便利なものだ。

んで、2005年版では三つそれぞれが別々にエントリーされていた"lord of the rings"が一つのエントリーにまとめられている。これは指輪ファンとしては2005年バージョン版のを持っておきたいところだ。きっと彼らの間ではその版を所有することが証明になるに違いない。んなことないか。

しかしいいなあこの本。2000円くらいで買えたし。映画史の本でやっぱり分厚い英語の本あるけど、それを買うならまずこっちって感じだよなあ。なにより写真が多くて楽しい。写真は初版のときより絶対増えていると思う。んで、とりあえず1000も死ぬ前に見ないといけないのなら、年に100本見るなら少なくともあと十年、年に20本しか見ないのなら(ここに載っている映画はってことね。だって新作も見るしさ……)あと50年は生きないといけないわけで、長生きしたい人にもってこいの本だと思う。



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2008年11月02日

矢口史靖、スウィングガールズ、2004

『ウォーターボーイズ』の矢口史靖監督の2004年の作品。問題は、この変な東北弁を受け入れられるかどうかで、そこさえクリアすればかなり楽しめる。日本映画を楽しめるかどうかっていうのは、このいかにも日常のだるーい雰囲気を映画観で見ることになじめるかどうかにかかっていることが多いと思うけれど、この映画は変な東北弁がその点をさらに強調しているかのように思えなくもない。けれど、実はかなり独特なナラティヴをもつ変な映画だ。

女子高生たちのもつ身体的な軽さがジャズに結びついていく過程っていうのがこの映画の見所。小津や豊田以来の日本映画の伝統(?)である女性の軽やかさを中心に置いたイメージ作りを見事に継承していて、嬉しいかぎり。それに、『スクール・オブ・ロック』系統の音楽に目覚める過程のお話しと、『青春デンデケデンデン』みたいな方言映画を足して割った感じ。んが、この映画のもつ語りはやはり独特だ。

ところどころに、主役五人たちがバイトしたり、手を叩きながら歩いたり、そのほかのメンバーが急遽再参加することになったりと、とても漫画的なシーンが入る。これは一種の省略話法になっているけれど、この映画のもつリズムによく合っている。ほかには、ビッグバンドの演奏っていうのも一種のスペクタクルとして演出するカメラとモンタージュが効果的で、この映画が素人ジャズブームを巻き起こしたっていうのも納得できる。

そして、最大の見所は、絶対初めは素人だったに違いない上野樹里らが本当に演奏しているところ。もしこれがもともとプロたちの演奏家が演技して出ているのならたいして面白くないはず。楽器については素人だった俳優が演奏しているからこそ、どことなく初々しさがある。これは企画としてかなりおいしい。それに、ドラムズの豊島由佳梨やトロンボーンの本仮屋ユイカ(おさげのめがねっ子!!!!!!!)なんか、いかにも特徴的な女子高生を演じていて、ぐっとくる。上野樹里が雪に寝そべっているシーンは特に、日本最大の正当派美少女としての面目躍如という感じ。

問題があるとすれば、いろんなエピソードをつめこんでいるせいで、はじめから集中して見ないとイマイチ話に入り込めないというところか。実際、細かいエピソードなんかは一度見ただけでは全部理解できないはず。よく言えば、作り込んでいる。なんにしても、夏と冬の日本の田舎の景色をバックに、少女たちとスウィングジャズの躍動感が見事に捉えられた映画だ。



posted by 映画狂人百歩手前 at 07:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 2000年代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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