2011年04月19日

Lucile Hadzihalilovic, Innocence, 2004

日本題で『エコール』と名付けられたInnocenceとゆー映画がある。
これはロリ映画としてちょっと有名になった。



これ、見終わるのに二週間かかった。
PVみたいな作りで細切れになっているので
なかなか先を見ようという気がおきない。
これはぼくの集中力が悪いのか、と思ったらこういうことを
言っている人がいて、大いに溜飲を下げた。

以下引用

「お前らはまだそんなことをやっているのか」

これでもかとばかりに古典的チャイルドポルノのベタな意匠を凝らしているものの、映画は確たる物語を語らず、人物は心を語らず音楽は鳴らず、何ひとつ説明がなされぬまま映画は終わる。作り手の、ハイこれアートでござーいという満足気な顔をスクリーンの向こう側に見た気がして、オレはげんなりする。ああ、またか。またこれなのか。

いいかげんもう21世紀なんだから、せめてこの手の映画はそろそろ絶滅してもいいんじゃないかと思う。キツいことを言えばこれ「お芸術」という万能の言い訳が、無能な作り手たちの避難所として利用されているだけだ。ヒキの強いチャイルドポルノの意匠をちらつかせ、アート系煙幕でドロンすればお芸術映画の一丁あがりというわけだ。こんなのは大昔からあるテキ屋的な手口で、お前らはまだそんなことをやっているのかと思う。いったいいつまでこれを続けるつもりなのだろうか。オレはこういうゴミの山をどんだけ漁れば、心から賛美できる1本のアート映画に出会えるのだろう。考えるだけで気が遠くなってジャンルとしてのアート系を敬遠せざるをえなくなり、だからオレはトム・クルーズが宙吊りになったりセガールが強すぎたりする映画ばかり観てしまうのかもしれない。

もうひとつ。意匠を利用しているもののこの映画がチャイルドポルノではなく、童女愛好者を満足させるためのものでさえないことは鑑賞前から判っていた(そのぐらいは経験で判る)。しかしそれにしても、作り手のこういったきわもの文化に対する「こんなもんだろ」というぞんざいな手つきは終始オレを苛立たせた。失礼ながら、映画を作るには敬意と勉強が全然足りないのではないかと思う



すごく同意できる。ほんとに現代のフランスの「芸術」ってのはこういう意匠レベルのものがすごく多い。というか、ほとんどがそういうものだと思う。まあ、コンテンポラリーアートってもののほぼすべてがそういうものだということもあるかもしらんが・・・

これの映像表現が直接的というか、暗喩が直球すぎるという意見もあって面白かった。
以下引用


僕が『エコール』を観て何で怒ったかというと、ああいう作品は映画として認めたくないからです。少女の無垢なる魂を表現するために少女の肢体や裸を撮影するというのは、チャイルド・ポルノとコンセプトが同じでしょう。それじゃあ映画じゃないじゃん。
例えば『千と千尋の神隠し』で千尋が初潮を迎えていることを気が付いた人は少ない。それは宮崎駿が直接的な表現を避けて、暗喩的に初潮を表現しているからであり、そういった表現から意味を読み取る事のが映画を鑑賞する醍醐味のはず。『エコール』はそれが無い。初潮を迎えたら生理ナプキンが出てくる。性に目覚めたら自分の体をまさぐる。死をイメージする時は本当に死んだふりをする。などといったあまりにも直球すぎる表現が延々と続きます。
一応比喩表現も色々あって「少女=蝶々」「性の目覚め=噴水」という表現をしているんだけど、どれも演出がしつこくて「観りゃわかるよ!」といった感じでした。



というか、千尋が初潮を迎えていたってのは初耳なんですが、どのシーンででしょうか。そういうのを見逃していたってのはちょっとショック。というか、ほかの意味でもショック。




この監督は、別の映画のほうがキテいるみたいね。同じ人が紹介しているけど、ちょっと面白そう。

『エコール』を撮ったのは女性監督のルシール・アザリロヴィック。彼女はやっぱりロリコン映画の『ミミ』を監督した人です。『ミミ』の内容も、少女がロリコンのおじさんに[イタズラされてショックと薬で意識不明になった上に、その少女暴行犯のおじさんがしゃあしゃあと知らん顔している所で映画が終わる]という、マトモな人間なら鑑賞後に怒り出す最悪映画です。もちろん良識ある僕も怒りました。何でこんな映画が一部のお洒落さんたちにウケていたのか疑問ですが、今評価するとしたら町○ひ○くの世界観を先取りしていた作品とも言えます。良識ある人間は町○ひ○くなんか読まないか。
というわけでルシール・アザリロヴィックはフランスの力○靖だとたった今僕が命名しました。彼女の作品からは女性ならではの感性を感じることはできませんが、性犯罪者の感性を感じることはできます。



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2011年04月10日

Marcel Carné, Drôle de drame ou L'étrange aventure du Docteur Molyneux, 1937

おそらく日本では未公開の映画。

In Victorian London, the botanist Irwin Molyneux and his wife Margaret Molyneux are bankrupted but still keeping the appearance due to the successful crime novels written by Irwin under the pseudonym of Felix Chapel. Their cook has just left the family, when Irwin's snoopy and hypocrite cousin Archibald Soper that is in campaign against the police stories of Felix Chapel invites himself to have dinner in Irwin's house. Margaret decides to keep the farce of their social position secretly cooking the dinner, while the clumsy Irwin justifies her absence telling the bishop Soper that she had just traveled to the country to meet some friends. However Soper suspects of Irwin and calls the Scotland Yard, assuming that his cousin had poisoned his wife. Irwin and Margaret decide to hide the truth to avoid an exposition of their financial situation, moving to a low-budget hotel in the Chinese neighborhood, getting into trouble. Written by Claudio Carvalho, Rio de Janeiro, Brazil
ラベル:Marcel Carne
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2011年04月09日

Anthony Mann, The Naked Spur, 1953

アンソニー・マンの『裸の拍車The Naked Spur』は傑作だ。

主人公はジェイムス・ステュアート、ヒロインは『サイコ』のシャワー・シーンであまりにも有名なジャネット・リーの西部劇。

「西部劇というジャンルの終わり頃に作られた作品」というにおいがプンプンとする作品で、西部劇の歴史についての授業があったらまず登場するだろうという作り。

お話は、ジェイムス・ステュアートが賞金稼ぎに悪党を二人の仲間とつかまえるのだけど、その賞金をめぐって三人のあいだには緊張が走るし、悪党はそれを利用してなんとか逃げようとする。さらには悪党の女友達ジャネット・リーも、悪党と主人公との間で右往左往する。

というわけで、お話はほとんどサスペンス。でも西部劇っぽい活劇もあるし、舞台はロケ。荒涼とした道中の風景が、人物たちの心象とマッチしている。

ところで、主人公の二人の仲間というのは、鉱探しに今までずっと無駄に人生を費やしてきた老人ジェシー(ミッチェル)と、酋長の娘に手を出してインディアンに追われる騎兵隊くずれのロイ。主人公も保安官だと嘘をついていたり、なかなか完璧にまっとうな人間というのはこの映画には出てこない。

途中、復習に燃えるロイが勝手に手を出して、インディアンの一体を全滅させる戦いのシーンがあって、これはすごい迫力。おそう方もちょっとびっくりした感じの奇襲になるのだけれど、描き方が相当リアルだ。

ラストの締めくくり方はこの映画ならではの微妙な感じ。西部劇が終わりにさしかかった、というのは、もはや正義と悪を分けることができなくなったからで、そこでは一人の人間に同時に善と悪が潜むことになる。あるいは一人の人間のその曖昧さ事態が問題になる。これは、そういうたぐいの映画の一つの代表的なものだと思う。


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