カンフー・パンダ。これは……レベル高いなあ。アニメ表現ってものの可能性をうまく利用して、ファンタジックなカンフー映画を作っちゃった。ドリームワークス製作だけど、上質なユーモアとか少し哲学的なストーリーとかはピクサーのアニメに似ている。ていうか、この映画のせいでピクサーとドリームワークスをごっちゃにしてしまったではないか。ああ、こいつらほんとクリエイティヴな連中だよなあって。でも、今、アニメつくっている連中はほんとセンスいいよね。
基本はもちろん香港のカンフー映画に、『グリーンデスティニー』以降のCG処理的なアクションを加えて、それをピクサー的なアニメにしたって感じ。これ、映画史的に面白いよね。こういうふに交差するのかっていうか。というか、今まで、レンタル屋とかで「香港映画ありますか?」って聞くといっつもキョンシー/カンフーものコーナーにつれていかされて、「あのーウォン・カーウェイとかはどこなんでしょう?」と聞くという体験を繰り返したせいで、世間の人々の香港映画に対するイメージの古さに辟易すると同時に、あのコーナーをがらくたの山だと考えていたのだけれど(もちろん、ジャッキーとブルースは別ですよ)、その認識について真剣に再考すべきであるとまで、この映画をみて思ってしまった。そう、だって、最近のハリウッドによるカンフー映画の取り込みを見ても、あのジャンルはやはり映画史的にユニークなものであって、かつての日本のヤクザ映画に迫るほどの影響を与えつつあり、しかもそれは今まさにアメリカでこうして起こっているのだ、ということ。この映画の、一見正当でないカンフーの使い方、例えば箸で食べ物を奪い合うなんていうシーンなんか、ほんとに香港映画ではないか。やはりあれは、ユーモアのある一大ジャンルだったのだ、と。
まあ、この映画のよさについては映画史に言い訳を見いだす必要はないかもしれない。だって、たとえば監獄の一連のシーンなんかは、明らかに『指輪物語』の第一部の地底シーンをカンフー的に見事に再利用したものだし、マスター5とタイ・ランとの闘いのシーンなんかでは、縄ばしごのこれまたカンフー的利用法というものを余すところな見せてくれるし、空中移動の動きなんかは空気圧まで再現していて、3DCGアニメの魅力を存分に満喫させてくれる。ほかにも、ウーグウェイ導師の一連のセリフの、そして、彼が去るときの、あるいは、老師が巻物を取り出すときのイメージの美しさと繊細さ。これはもう、ほんとに想像力と遊び心のある人たちが細部にまでこだわって作った映画ですよ。ジーニアスだ。
まあ、筋が全然わかんなかったとしても映像見るだけで十分に面白いはずですが、ストーリーもよい。というか、ここで語られているテーマってさ、案外安易なものだと思われがちだけど、じつはとても深い真実なんだよね。それはたとえば、天才と呼ばれるような人たちが結果を残すに到るまでのお話しなんだよね。なので、これを見ていて、ああ、この人たちはほんとに天才だし、そこまで自分たちを導いたもので一番重要だったことを、ここで伝えようとしているんだな、と感じました。参りましたです。



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ちゃんとTBできているみたいですよ。どうも、たまにこのブログ自体見えないときがあるので、そのせいかもしれません。いや、そのまえに、こちらのTB間違って送ってしまっています。『カンフー・ダンク』じゃなくて『パンダ』なのに・・・。ほんとにすいませんが、消しておいてください。