2008年09月28日

小津安二郎、晩春(Late Spring)、1949

コメディ映画かと思ったら、ホラー映画だった。そんな変な映画が日本映画の最高の傑作の位置を占めているのだから、世の中変なものである。つうか、原をはじめて使うというのに、ここまでやらせる小津ってやっぱり異常だよ。そして、その異常さをこともなげにかわす笠智衆のキャラ作りもやはりまた異常だ。そして、その異常さをどこかあっさりとした展開でもって流していることのなんともいえない奇妙さ。いやはやなんとも。

とにかく原の顔。冒頭から彼女の表情がひたすら映される。自転車に乗っている彼女の満面の笑み。それから、まさに般若のような彼女の怒った顔。旅館で床に就いたときに見せるなんともいえない微妙な表情。あんな顔はとても指定してさせることのできないものだろうから、これは彼女の本来の持ち味だと言ってよい。この女優が、なぜ日本映画史上もっとも謎に満ちたスター女優であったのか、それに応えるにはこの映画一つで足りる。

そして、笠。こっちはまさに能面のような笑みをずっと浮かべている役割。これもまたすごい。ほんとにすごい。笑みを浮かべるということがかもし出すなんともいえない緊張感。この笑みが果たす何通りもの役割。これは、ちょっとほかに例を見ない。ああ、しかしこの映画、緊張感ありまくりで疲れるよね。杉村春子だけが唯一の救い。

だからこの映画、テーマ的には『父ありき』で描いた父一人と息子一人のお話を、同じような手法でもって父一人と娘一人にして描いたと言えるんだけど、ここでの「怒り」というテーマは『東京暮色』に連なるものであるともいえる。二年後の『麦秋』など、「結婚」をテーマにした映画をこれから何度も小津は作るが、そうした映画とこれとは一線を画しているように思われる。それはひとえにこれが、日常に隠してきた強い感情がむき出しにされそうな瞬間と、それを見事にかわすいかにも日本的なやり取りが交わされる映画であるからだ。


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2008年09月12日

Billy Wilder, A Foreign Affair(異国の出来事), 1948

うーん、すごい映画だ。ビリー・ワイルダーがこんな重厚かつ滑稽な偉大な映画を撮っているとは全然知らなかった。つうか、彼ユダヤ系オーストリア人でベルリンで子ども時代過ごしたのか。これもまた新発見。この映画は日本未公開ということもあって日本ではあまり有名ではないと思うし、今までこの映画について書かれたものも読んだことがなかった。けれどそれは、重大な損失だと思う。とにかく、これを知らないというのはマズイ。

戦後まもないベルリンに、アメリカから固い感じのご婦人が来て、在米軍とかの調査にやってくる。それを迎える将校はドイツのきれいな歌手とねんごろな中で、彼女をナチであるという疑いから守ってやっている。けれどご婦人はふとしたことから歌手に興味を持ち、調査し出す。それをやめさせるために婦人を誘惑する将校……。この筋だけですでにかなりイカれてるし、崩壊したベルリンの町並みがもれなく映っているのもすごい。ぜひ『ドイツ零年』と一緒に見てみよう。

さて、歌手役のディートリッヒ。彼女はなんと歯磨きしているシーンから出てきて、ジョン・ランドに中身をはきかけることまでする。ところが次に出てくると、今度はナイトクラブの歌手として、見事な女王っぷりを見せてくれる。彼女がなぜ伝説なのか、この映画を観るとその偉大さについてよく分かります。つうか、彼女が映画で歌う歌は、戦後のドイツ自体のことを歌っていて、まるで時代の証人のよう。そういう役を歌手にやらせたワイルダーの発想もすごいし、それに応えたディートリッヒもすごい。信じがたい大女優の貫禄。つうか、女優が輝くってのはこういうことなのかって思った。

ジーン・アーサーの使い方もすごい。固い女からいきなり恋する純情な乙女に変身する。それを相手にするジョン・ランドもときには嫌そうで、ときにはおお真面目だったりと変。登場人物の誰もが二面性を持っていて、それがいろんな具合で出会い、化学反応を起こす。滑稽さと真剣さが紙一重でつぎつぎと入れ替わる。あるときはコメディであり、あるときは社会派映画だ。はあ、そうだよな。これが映画なんだよな。現実の複雑さを愛をもって繊細に描きあげるこの芸。まずいなあ、ビリー・ワイルダーって想像を絶するほど偉大な監督だったんだ。ほんとに知らなかった。ああ、まごまごしているうちにみんなが一斉に再評価しだしちゃうんだろうな。

あと思ったのは、戦後のベルリンを舞台にワイルダーみたいな監督が映画を作ってくれてほんとによかったってことだよね。占領下ベルリンってのの雰囲気がよく出ているし、ここを起点にしていまのドイツがあるんだなってことがうっすらと分かるような気までする。戦後ドイツの変遷とか、戦後の都市みたいなテーマで作品を集めたときに必ずリストに入りますね、これは。いろんな使い方がある、とてもお得な映画です。



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2008年09月11日

Carol Reed, The Third Man(第三の男), 1949

客観的には、「どの映画を観ていない人とは口を聞きたくないか」、というアンケートではトップにくる確率が一番高そうなこの古典中の古典映画。けれど主観的には、「ある映画を観てつまんなかったという奴とは口を聞きたくない映画はどれか」というアンケートで一位に来ると思う。いや、ほんとにいるんだよな、そういう奴。確かに、15インチとかのテレビなんかでも見ても確かにあまり面白くないかもしれないが、それを抜きにしても、まぶたを閉じれない状態で見せられるとかそういう拷問的な状況で見るのでない限り、この映画を少しでも楽しめない人間というのは、根本的に映画を楽しむ能力が欠落している人だと思う。

はるーか昔に一度見ただけで、音楽も忘れていたし、ほとんど初見状態で見ることができた、もちろんスクリーンで。昔は、かなりどきどきしながら見た気がしたけど、実はアントン・カラスのチターがどこか明るいし、今回は鬼気迫る展開というふうには感じなかった。きっと子どもの頃の方が、そういうの強く感じるんだろうな、という気はする。

んで、どこが見所か、ということを説明する必要がないこの映画。ほんとになんなんだろうね。ただ一つ確かなのは、ヨーロッパの街っていうのを見事に利用しているんだよな。アリダ・ヴァリの部屋から通りを映したり、その通りで、ジョゼフ・コットンが、闇に隠れている実はオーソン・ウェルズに大声で話しかける姿を俯瞰気味に撮るときなんか、街の建物の高さと人の高さが画面の中でせめぎ合っているんだよね。街と人、どちらにも同じくらい強烈な存在感がある。ほかにも、ウェルズ君の顔とか、壁に影が踊る夜の街とか、どうやって撮ったのか謎の観覧車の中でのやりとりとか、下水道とか、もう映画的としかいいようのないシーンばかりでできている。ウェルズの『上海から来た女』が二年前だから、かなり影響を受けたのかもしれない。

しかし、時空を超えうる永遠の名作ってのは異常なものだよな。風格の高さの桁が違う。そしてすごいことは、最近の映画にありがちなねちっこさがないってことだよね。とてもさらっとしているのに、印象的に撮られている。これはどういうことなんだろうね。最後のあの死ぬほど有名な長廻しも、ぜんぜん嫌みじゃない。最後にコットンがたばこを吸う仕草でさえもが。こういう臭みのなさ、っていうのは、不思議なことに今の映画の多くが失ってしまった。



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2008年08月10日

小津安二郎, 父ありき(There Was a Father), 1942

小津Ozu, そして笠智衆、1942年。『父ありき』でございます。なんとこれが初見でした。なんか小津って全部見終わっちゃうのがもったいなくてさ……

初めてあの有名な釣りのシーンを動画で見ました。ええ。
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ほかにもいろんなショットで、しかも映画中二度繰り返されるこのシーンについてはあえてここで触れる必要もありますまい。しかし、今見ると、上のショット、初期ホウ・シャオシェンみたいだねえ。不思議だねえ。

小津のいろんな手法とテーマが完成された形で出ている、すんごい古典的な映画ですね、これ。理想化された父親像。これは、戦後にはもはやないもので、戦後になる前に撮られるべきだった時代的必然性を感じる。ここで彼は自分のスタイルと語りたいことを完璧に作っちゃったわけで、戦後になって時代が変わったことは、小津にとって幸運なことだったんだなあ、って思う。

逆に言えば、この究極スタンダード映画を、小津をこれから見ようという幸せな人がもしいたら、初めての一本に強く推します。ここから見ていけば、戦後の小津がいかにこの「型」にアクセントをつけていったか、ということがよく見えるかと。ときには同じテーマやせりふ、ショットなどの繰り返し自体がアクセントになっているのが小津のマジックなんだけど。

フランス版には、フロドンとか字幕翻訳者の解説があって、まあ、この映画について語られている基本的なことをしゃべってくれるのだけど、ショットについて解説しているのがあって面白かった。まあ注意深く見ていれば気づくようなことなんですが、父親が父性を示しているときは常に右側にいるとか、そんなこと。小津の、この、ショットだけで多くのことを語るというこの手法、映画のnarrativeの豊かさを教えてくれるよね。もちろん「語り」だけじゃなくて、リズムやエモーションまでショットに込められているんだけどね。

にしてもこの映画、ほんとうに古い日本を描いているよなあ。もちろん、今も変わらない部分はあるよ。日本人に特有な「役割」(父親とかね)への固着とさ。でも、ここで本質的なのは今では日本人から失われてしまったある種の礼儀正しさ、子どもたちまできちんと正座するようなそういうの、それに加えて、この互いを尊重したなんともいえない親子関係、なんかすごいですねえ。小津の手法が戦後のと同じであるだけに、時代の差を強く感じます。『東京物語』なんかでは、その失われた関係というものが、あまりに痛々しく描かれていて、とてもまともに見ることができません。こういう気持ち、日本人以外でも分かったりするのかなあ?



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2008年07月29日

黒澤明、野良犬(Stray Dog)、1949

バディ刑事もの。しかもそれが三船敏郎と志村喬。これは絵に描いたようなコンビ。しかも、志村喬なんか、もうまるで志村喬のために用意されていたかのような絶妙の役柄で出てくる。あんまりにもはまり役すぎるんですけが、これ。ああ、こんな完璧に役になりきれる俳優いまの日本にいるのかなあ。つうか、こんだけモノホンな刑事役できる俳優ほかにいないか。ふてぶてしい女盗人役の岸輝子もすごい存在感だ。そしてこれは淡路恵子のデビュー作。彼女がわっと泣き出すシーンなんか、もし『日本映画史』をゴダールに対抗して作る気があるならぜひ入れてほしい。ああ、こんだけの俳優が出てくる映画、黄金時代ですなあ。あと数十年もすれば、「日本映画の黄金時代」と言っても多くの人がぴんとこなくなるんだろうか。悲しいことだ。

そんで、これ、黒澤嫌いの人がもしいたとしても、それなりに見られる映画だと思う。宮川さんの『羅生門』ほどじゃないにせよ、きれいな絵をとるじゃあないですか。
PDVD_002.BMP
上のシーンなんか、当時の東京の、それほどきれいとは言えないであろう風景を見事な絵にしている。手前に(ちょっと気障だけど)ハーモニカを吹く青年、中央の台の上に主人公、横下から近づく岸輝子、その後ろに風になびく店ののれん。ここは静止したシーンだけど、二度にわたる三船が本格的な復興以前の東京の街を歩き回るシーンなんか、映像資料としても貴重なはずだし、見ていても面白い。これ、戦争でなんにもなくなってそのへんに人がぶらぶらしている東京、そういう東京を面白い題材だなと思ったんだろうなあ。当時の日本には、そういう監督さんがいて幸運だったなあ。カメラは中井朝一。あ、そうそう、野球場のシーンなんかも、当時の雰囲気がよく出ていてかなりよい。川上哲治とか出てるし。

お話しは、これ以降使い古されることになるパターンなわけで、古臭いかもしんないけど、これが元ネタであるってことなんだよね。んで、とっくみあいのあとで、花や蝶々が写ったりするのは黒澤っぽい安っぽいシーンだなあとは思うものの、まあそういうものだと思っておけばよい。黒澤が好きにせよ嫌いにせよ、この時代の映画っていうのは有無をいわさない価値がある。なんというか、自分の国の古い映画っていうのは、なんだかわかんないけど、ありがたいものだなあと感じます。



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2008年06月28日

Raoul Walsh, White Heat(白熱), 1949, 114min

James Cagneyが「マザーコンプレックスの異常性格者」を演じていることで有名なこの映画、でも私の興味はそこよりも、いろんな場所が舞台になったり、面白い小道具が出てくる映画という感じ。コンプレックスの対象であるおばあちゃん役のMargaret Wycherlyも迫力あった。刑事役のEdmond O'Brienもよい。

まず、冒頭は列車強盗で、強盗中に事故で仲間が蒸気におもいっきりあたって怪我をしてしまう。蒸気で怪我するっていうのがなんか新鮮ではないか? あらかじめジャックして速度を落としておいた列車にトンネルの出口で待ち構えていて飛び乗るっていうのも、新鮮。そして、今度は主人公は刑務所にはいる。ギャング映画にはやはり刑務所。そして潜入操作する刑事。ああ、王道ですねえ。刑務所でみんなが同じ服着てそろって食事しているところでギャグニーが異常者みたいに怒りまくるというシーンもよい。脱出の仕方なんかには、どことなく時代を感じさせるとこがある。

出てから、おばあちゃんが警察に車で追われる。三人で逃げるときに、ドライブインシアターに隠れる。その言葉は聞いたことはあったけれど初めて見た「ドライブインシアター」。ほんとに車で入って、窓にスピーカかけてくれるの。出るときどうするんだろ。そんで、追跡のときには、ラジオを改造したものでなんか電波をだして、それを二つの警察車両から探知して、本部で位置を割り出すのね。これも、とても雰囲気が出ていてわくわくする。

そんで最後は、「世界のてっぺんだ!」とか言ってタンクの上で爆発して終わり。いいねえ、この破天荒な感じ。これは、主役のキャラも、プロットもいいし、出てくるシーンや小道具も面白い。さすがに、いまだに名作扱いされている昔の映画だけあるなあって感じ。ギャング映画の古典中の古典です。

追記:ドライブインシアターは今でも日本には一箇所だけあるそうです。うおー超いってみてー。二人以上だと3400円とからしいけど、後部座席に乗っていても見えないから、二人以上はありえないと思う。ここはFMで聞くタイプらしい。みなさんも、ぜひデートにどうぞ。



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