2011年10月09日

Deep Throat, 1972


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Alain Robbe-Grillet, Le jeu avec le feu, 1975

危険な戯れ



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Emmanuelle, 1974


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2009年02月07日

Chang Cheh, Shin Du Bei Dao(新・片腕必殺剣), 1971

むかしの香港映画なんてみる機会はあまりないけれど、見てみるとやっぱり面白いし、男たちはかっこよい。ぼくは前から、なぜ男同士の篤い友情は中国と韓国にしか存在しないのか疑問に思っているけれど、カンフーや武侠映画では男同士の友情ってのがなければ成り立たないくらいこれは重要なテーマだ。かわいい女の子なんて添え物にしか過ぎない。西洋映画とはまったく別なジャンルがここにある。

で、片腕になった男が友というか兄の敵を討つために敵地に乗り込むわけだど、これってほんとにジョン・ウーだよね。彼がチャン・チェの弟子だったってのはすんごい分かりやすい話。アクションは60年代だけあって、たわいもないものだけど、カンフーアクションの基本的な動きを全部見せてくれてはいるって感じ。これが90年代になると、もっと洗練されはするし、もっとダイナミックになるけどね。でもすでにワイヤーアクションも使ってる。

60年代の武侠映画(つってもカンフー映画とジャンル的に同じだけど)はほんとに同時代の日本映画なんかと雰囲気がよく似ていて、親しみを感じるということを発見した。ショウ・ブラザースの映画、発掘しがいがありそうな予感だ。


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2008年07月31日

Terrence Malick, Days of Heaven(天国の日々), 1978

間違って見ることになってしまった映画。三年前に一度見たことあったので、途中で出ようと思っていたのだけれど、結局最後まで見てしまった。自分の記憶を確かめたかったという理由もあるにせよ、やはりこの映画はちゃんと魅せる。

カメラはNéstor Almendros。この人はロメールとかトリュフォーとかフランス映画をたくさん撮っている人。ひたすら自然光だけを使って、一面の麦畑を撮る。しかも、夕方の撮影ではマジックアワーでしかやんなかったらしい。マジックアワーは20分だけしかないので、とんでもなく日数がかかったことでしょう。しかもエキストラもたくさん、バッタもたくさん。長時間露光撮影なんかもしているし、最後には一面の火事になっちゃう。あと、よくわかんないけど、子役の娘さんがある程度大きくなるラストの撮影って、ほんとに時間たたせてから撮ったものじゃあないでしょうか? ちなみに、音楽はエンニオ・モリコーネ

つまんない映画だったら、二回目見るときは集中力落ちると思うけど、いい映画の場合は二回目のほうがよく見える。これは、やはりクラシックな映画だと思います。映画の中で、最も詩的な映像をもつものの一つです。



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2008年07月20日

Federico Fellini, Amarcord(アマルコルド), 1973

舞台は1930年代、イタリア、リミニ。フェリーニ、ニーロ・ロータ。誰もがこの『アマルコルド』については一言あるのではないかと思う。ここでは不肖私めの意見を披露させていただこう。

なになに、「誰もが経験する若いころの思い出」だって? んなあほな。誰もがあんな馬鹿でかいタバコ屋のおばちゃんにもてあそばれるのか? 誰もが近所総出で海に漕ぎ出して巨大な船を夜中に見るのか? 誰もが・・・まあいい。とにかく、自分に共通するような体験だけ抽象的に取り出して見るなっつうの。そうじゃあない。確かに、フェリーニの子供時代の体験そのものはあなたのそれと同じようにいくらでも凡庸でもありえる。だがこの監督は何を思い出しているのか、それは個々の体験というよりも、町の人々の絶え間のない活気ではないかしらん。

映像の魔術師、とかいうと、「映像」ってのはとにかく静止した絵のようなものを思わせる愚鈍な言葉であるのだけれど、フェリーニが何よりすばらしいのはその動きの撮り方にあると思うんだよね。8と1/2でも、一番わくわくするのは、主人公がテーブルの下にもぐりこむところだったでしょ? 『ローマ』でもみんながわいわい外で大量の食事をして、そして誰もいなくなるその一連の動きがすばらしかったでしょ? ここでも、映画館のシーンで、みんな一緒になって振動しながら映画を見ていて、それだけもすばらしいのに、突然「雪が降っている!」と、そのすばらしい共有体験を中断してまでみんなが大慌てで雪を見に行くところ。この一連の動き。はっきり言って、『ニューシネマなんたら』なんかとは比べ物になりません。絶句もの。そしてこの映画のほとんどのシーンは、ホテル関連のところは退屈だと思うんだけど、こういう超絶的なシーンで構成されていて、そりゃこれだけとれるんだったらなんだって好きなのとれて、世界中の映画賞そうなめにできるよな、という感じ。

子供時代の思い出を撮る、それだけでこれだけすごいシーンがたくさん出てくる、ということ、それはつまり、この人は子供時代から芸術家の感性をもっていたということなわけ。いろんな面白い人々に囲まれて、いろんな出来事があった、そのときの興奮を、人々の動きをこれだけ再現できるんだからね。ファシストの行進のシーンなんて、政治なんかとはまったく関係なく、ただみんなの動きの面白さだけがあるんだもの。そして、ラストの結婚式のシーン。なんと愉快でなんと美しいことか。絶え間のない人々の動き。一人で花束を拾う少女。こんなにすばらしく結婚式を撮れる人ってのはそういない。これはすごいぞよ。

というわけで、私にはこれは「パーソナルなフィルム」というよりも、どんな感性をもった人間がのちに芸術家になるのか、という見本のような映画だと思います。



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