2011年10月09日

Gefangene Frauen, 1980


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2011年09月28日

大島渚, Max, Mon Amour,1986

主演はCharlotte RamplingとAnthony Higgins、脚本はカリエール、撮影はラウール・クタール。大島渚がフランスで撮った映画。これは変な映画というジャンルのなかでも極めつけ変な映画。日本人監督が単身フランスに渡って現地の俳優で撮っているというのだけでも十分変だが、脚本もそれ以上に変。お猿さんと恋仲になった女性と、その夫の物語、ということはきっとタイトルからは想像できない。

変なことがおきているのに、主演の二人は表情を変えず、優雅な暮らしを案外普通に続けていたりするところが面白い。映画だからってけっこうむちゃくちゃなことをしているが、こういうのはけっこう好きだ。こういう映画は、むやみに意味づけをしたりすると面白くなくなる。猿は猿であり、それ以外の何ものでもない。そこんとこの表層にとどまって鑑賞するのが正しい見方だ。

どう考えても大島渚らしくないが、こういう変な映画がこっそり撮られていたってだけでも、やっぱり映画は面白いと思う。これは、見るべき映画だ。


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2010年10月09日

Eric Rohmer, Pauline à la plage, 1983

エリック・ロメールの1983年の作品。15才のアマンダ・ラングレの若い魅力と、アリエル・ドンバールの成熟した魅力がともに楽しめる映画。



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2009年02月24日

Ann Hui, Boat People(望郷), 1982

ヴェトナム戦争終了直後のダナン郊外を、日本人カメラマンが仕事で訪れ、そこで地元の悲惨な現状を目の当たりにするという話。そこで彼が出会うチン・ニアンという少女がかわいい。これがほんとにかわいいので、それだけでも見る価値はある。この子が雨に濡れながらたばこを吸って、カメラの前でポーズを取るシーンなんかがこの映画の白眉。アジア人の女の子のかわいさというのは、白人の少女が持っているのとはぜんぜん違う。これはいったいなんなのだろうか。

ところで、この映画、カメラマンが日本人のはずなんだけど、役者は日本人じゃなくて、もう一人の日本人と話す日本語がとても変。明らかに日本語あんまりできない人が中国語から翻訳したっていう感じの奇妙な日本語を、変なアクセントで話すものだから、日本人には理解できない。これ、日本で公開するってことまったく考えてなかったんだろうなあ。そういうところに時代を感じる映画だ。
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2008年10月11日

Pedro Almodóvar, ¡Átame!(アタメ), 1989

カメラマンJose Luis Alcaineのレトロスペクティブということで見られたこの映画。いやーやっぱりアルモドヴァルの映画は劇場で観るに限りますね。実は劇場でしか見たことないけど。それにしても、この映画、アントニオ・バンデラスがあんまりな役柄で、若かったものだから最後まで名前が思い浮かばなかった。いやー、若い頃こんなリスキーな役に出て、今の地位をつかんだんだね彼。大物だ。

アルモドヴァルはほんと食えないおっさんだ。誘拐事件が一方で展開しているあいだに、車椅子での老人のダンスを見せつけさせる。この人、小津みたく、でももっと大胆に頭どっかぶっとんでいると思う。たとえば、Rickyが誘拐中のMarinaをまるで結婚して新居に移るかのように勝手に隣の部屋に移動させるとき、まるで花嫁が花婿をかかえているみたいな演出で、容赦なく甘い音楽を流す。このシーンの奇妙さは、ここはあとで二人がつっつく伏線だなどと映画解説者が得意げに解説してみせても消えるものではない。そして、二人のセックスシーンをこれでもかというくらいにじっくり見せること。いやはや。

この、なんともいえない奇妙で複雑でわけのわからない感情の積み重ね。こんな映画を撮れるもんなんだなあ。そして、ついに彼女が妹を前にして、「彼を愛している」と、告白とも確認ともいえない感じでつぶやくシーンのおかしさと哀しさ。なんとまあ、これだけシンプルな筋で、これだけシンプルな言葉で、これだけ感動させられるってのはなんなんでしょうか。

最後、廃墟の町にたたずむRickyをMarinaが妹と共に訪ねていくシーンはあまりにも美しい。映画史に残る瞬間だと言ってよい。そして、車の中で三人をワンシーンで収め続けるカメラのすばらしさ。妹は再び歌を歌い、姉は黙っている。それだけで妹の、この人の姉への愛と信頼と、愛そのものへの信頼を語り尽くしてくれる。このシーンが、このワンシーンワンショットが映画の中で最も長いショットであるのは必然で、これを撮りきった監督の力量というか、センスというか、映画観というか人生観というか、とにかく驚嘆ものだ。そして、映画を見終わったあとで、不意に訪れる信じがたいほどの感動を前にして、私はアルモドヴァルが、小津やホウ・シャシェンと並んで自分にとってもっとも重要な監督の一人に違いないことを確信することになったのだった。



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2008年08月11日

花輪金一、俳優笠智衆 わたしと松竹大船撮影所、1980



これは大船撮影が取り壊される記念(?)に撮られた記録映画。ほとんどは大船で撮られた笠智衆が出ている映画のカットで占められていて、そこに生笠智衆の語りが入る。これが1980年。つい最近じゃあないか。冒頭で、人気のない大船撮影所にカメラが入っていくシーンや、明かりだけがつけられた撮影所内部で笠が口をぽかんとあけてしみじみと周りを見ているシーンとかでは号泣せずにはいられない(音楽がかかっていなければもっといいのに)。ここに出てくる共演者が、飯田蝶子、彼女には名前を変えろといわれたり、田中絹代、彼女と木下惠介の映画で初めて五分も続くカットにでて大変だったけど、彼女は慣れていたのか堂々としていた、とかがあの『陸軍』での有名な出征のシーンなんかを映しながら語られる。木戸社長には70年の『家族』(山田洋次)で初めてほめられた、とか、ほかには、自分はアフレコがすごい上手かったとか、原さんだけが小津にほめられていたとか、そういうファンには嬉しいエピソードがたくさん。

この、ほかのいかなる国の黄金時代とも比肩しええないと個人的には思っている日本映画の空前絶後の輝かしい黄金時代の中心に位置する笠智衆が、自分のことを「下手な役者」だと当時もまだ考えていて、その謙虚さにびっくりさせられる。というより、とにかく普通の彼の姿が見えて生の彼の声が聞けるということに単純に感動します。いや、というか、終戦のときのことをしみじみと語る彼の声なんか、すでに芸術です。なんなんですか、この人は。いや、だから笠智衆だってば。

80年、まだ彼は生きていて、しかも、そう、90年代まで彼は生きていたんだ、ということ。彼が生きていて、映画に出ていたこと、それは日本映画にとってこのうえなく僥倖であったわけですが、私たちは今でも彼が出ているさまざまな映画を見ることで、その幸せにひたることができる。これはそんな笠智衆への一つの美しいオマージュだろうと思います。
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2008年07月26日

Clint Eastwood, Pale Rider(ペイルライダー), 1985, 116min

イーストウッドの作品なら外れがないだろうと思って、「西部劇」のカテゴリーから一本選ぶと、やはりアタリだった。80年代に完璧な西部劇を再現してしまったということにだけでもびっくり。採掘現場とか、テレグラムとか、銃とか、服とか、電車までもそれっぽい。イーストウッドも超かっこいい。これはすごい。ちらちらたき火の光が男たちの顔を照らす美しい夜の談合のシーンでは、開拓者たちの生き様というものを見事に語ってくれる「アメリカ講座」にもなっている。感歎感歎。

イーストウッド監督の腕が恐ろしいほど冴えているのは、冒頭の襲撃シーンから分かる。駆け回る人々、引き倒されるテント、牛までも演技する。黒澤なんかとは雲泥の差がある。でも一番感心したのは、英語の見事さ。牧師であるイーストウッドが敵からの買収を断るときの

Can't serve God and mammon both.
Mammon being money.

というセリフ。簡潔だなあ。ほかにも、サラに吐く

It's an old score and it's time to settle it.

とか、痺れます。scoreとか、こういう使われ方をするのは中型辞書に載っていない。そういう、古い英語がけっこう出てくるような気がする。tin pan っていうのはminerのことだろうけど、これもLDCEには載ってなかった。ほかにも、much obliged(=thank you)とか。古い英語だけじゃなくて、この映画のセリフはほんとに魅力的で、英語という言葉にあこがれてしまいそうだ。イーストウッドが最後'Long walk'とだけ言って去っていくのもかっこいい。英語って簡潔な言語だなあ。日本語じゃあどうしったってこうはなんないもの。

「イーストウッドが強すぎる」という意見もあるようだけれど、そうは思わない。最後の闘いの一連のシークエンスでは、リーズナブルな強さ、というか、頭脳戦を見せてくれる。西部劇でこういうの、いいよなあ。靴についている金具(あれ、西部劇の男たちがつけているものだけど、具体的にどう使うものなんだろう? 馬関係だとは思うんだけど……)がシャンシャンというのも、効果音になっていて気持ちいい。とにかく演出が見事だよなあ。



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2008年07月19日

Francis Ford Coppola, One from the heart(ワン・フロム・ザ・ハート), 1982

不思議なことに、未だにこの映画は批評的には酷評されているみたいだね。まあ少なくともフランスのあるシネマテックはこれを過去の名作の一つ扱いしたラインナップにいれているんだけど。アクターズ・スタジオインタビューのときにも、コッポラはこれを気に入っているみたいな感じで語っていたような気がするなあ。そんとき、彼が自分で気に入っている作品と、そうでない作品と、批評家の評価がずれまくっている、みたいな不幸な経歴をもっていると自分で思っているような少し複雑な印象をコッポラに見たのは、そのせいだったのか、と納得しないでもない。まあ、批評家ってのは馬鹿だよね。

allmovie.comの評価を読むと、作りすぎているとか、主演の彼がぜんぜん合ってないみたいなことを書いているのだけれど、そのへんが良いところなのであって、やっぱりまったく分かってない感じ。空が本物なのか偽物なのかわかんないところも、ラスベガスっぽくっていいところなんだけどなあ。そもそも、ラスベガスって夢を題材にした街で、夢のない二人が一晩夢をみるって話で、現実感がないのは当たり前で、現実感のなさ、みたなものこそが一つのテーマだと思うんだけど、どうよ? これ、複雑な作りだと思うんだけどなあ。そして、ラスベガスという街を舞台に、こんな冴えない二人を持ち出してくるあたり、センスいいと思うんですが。少なくとも、現実感ってのがここでは少し複雑なことになっているということ、そのことくらいは最低限理解しておいてから批評してほしい。まあ映画批評家なんてほとんど馬鹿だからしょうがないとは思うんですが。なんというか、このさえない男が、最後に搭乗口でyou are my sunshineなんて歌うからいいと思うんだけどなあ。うーん。

そして、思うに、コッポラは映画マニアすぎなんだよね。これも過去のミュージカルへの独自のオマージュがこもりすぎみたいなところがある。ただそれがちょっと想像力にあふれ過ぎなんだろうね、普通の人にとっては。でもこの無駄にゴージャスな感じ、好きだなあ。Nastassja Kinskiのシーンなんかすごいよい。ちなみに、撮影はストラーロだよ。

それと、これ、トム・ウェイツ音楽なんだね。タイトル始まるまで知らなかった。しかも、彼自身歌っているし。少し彼っぽくないアレンジかもしらんが、確かに、ウェイツの才能ってのはこういう音楽を作るのに最適だ。あ、こういう使い方があったのか、と驚かされたなあ。そういうところも、コッポラはセンスがいい、というか、よく知っているなあという感じ。

ちなみに、これ見ていたとなりのおじさんはぼろぼろ泣いていましたよ、最後。恋人と別れた経験があるとかいう人におすすめですね。それと、4th of julyって、フランスでも似たようなのがあるけど、あれって花火大会の日くらいのもんだと思っていたけど、アメリカ人とかにとってその日がどういう風に特別なのかちょっと分かった気がした。まあどこか間違っているような気もするのだが……



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2008年07月16日

Jim Jarmusch, Down by Law, 1986

そうか、80年代にカルト的な人気を誇った作品を、今頃になって見ているわけですが、まあいい映画だよね。なんというか、自分の趣味の良さを見せつけるために、夜に友達で集まって部屋を暗くしてお酒でも飲んだりしながら映画でも観ようか、というときに引っ張りだしたくなることに抵抗しがたいような映画だったことはよくわかる。もちろん、過去のアメリカ映画へのオマージュがあるわけなんだけど、それがWendersみたくうっとおしくないし、オマージュよりもこの監督のセンスの良さと、カメラの良さによるところが大きい。トム・ウェイツが酒瓶もってゴミ箱の上で歌っているシーンなんかすごくいい。

さて、この渋ーい感じでずっといくのかな、と思うと、途中からコメディになるんだよね。まあそれも悪くないんだけど、うーん、Roberto Benigniはやりすぎだよね、やっぱり。うん、ぼくもそう思っていたんです。Tom WaitsとJohn Lurieをあくまで中心のままで映画を続けることができていれば、もっと傑作になったかもしれないのに、ちょっと残念。まあ、ダンスのシーンとか悪くないと思うけど、ちょっとこの監督、きっと普通に才能がありすぎるんだよな、いろいろできすぎるっつうか。しかしこの映画を紹介していたフランス人のお姉ちゃんは、Benigniが出てくる、みたいな紹介の仕方をしていたので、ヨーロッパ人にとっては見方が違うんだろうなあ。こちらにしてみれば、もう完全にTom WaitsとJohn Lurieが出てくる映画なんですが…… しかしいい映画を撮れるとなると、いい俳優も出てくれるし、みんな見てくれるし、ほんとに羨ましいですね。

追記:ところで、この映画は「オフ・ビート」で、そこのところに感動したという人も見かける。「勉強一直線だった私の人生を変えた」みたいな。ああ、そうだったのか、とちょっと衝撃を受けた。そして、このオフ・ビートな感じがナチュラルである私の人生って大丈夫なのだろうか、と少し不安になったのだった。



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2008年07月11日

Joel Coen, Raising Arizona(赤ちゃん泥棒), 1987

アクション、ホラー、コメディ、ドラマと、一つの映画でいろいろ味わえるお得な映画。そしてNicholas Cage主演。しかもHolly Hunterも出てる。きっとこれ、ものすごい昔に一度見たことがあったはず。最後のシーンだけおぼろげに覚えていた。でもこれ、子ども向けかと思ったら、アメリカとかヨーロッパ向けの映画なんだね。あの人たちはこういうので馬鹿笑いできる人たちだから。でもどうしてなんだろうか? それはともかく、スーパーでの大狂乱なんかには、カートーンの雰囲気よりも、80年代っぽさを感じてしまいますが、きっとそれも間違っているわけではないでしょう。古き良きアメリカとまで言うと、シーンに無茶苦茶そぐわないですが、どこか今の時代にはない無邪気さがある。

しかし田舎の馬鹿なアメリカ人のしゃべり方って、いっつもああなんだけど、これ、映画の中だからいいけれど、リアルで自分に向かってああいう風に喋られると、それがスワッピングを持ちかけているのでなくても、相手の顔面に一発ぶちかましたくなるよね。もちろん、アメリカの白人でも都会の人間はぜんぜんちがうはずだけど、やっぱり黒人のしゃべり方はかっこいいなあと思うよね、まあ映画とは関係ないけれどさ。

80年代か…… アメリカの田舎についてまだどこか肯定的な雰囲気を感じさせる映画が撮られていた時代だね。今思ったけど、国内イメージの変遷を映画で辿ってみるとなかなか面白いのではないだろうか、なんかと思ったりする。まあやんないけど。そういうわけで、今後イメージ的に墜落するアメリカの田舎を舞台にした心温まらないこともないコミカルな映画です。



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