2008年11月25日

James Gray, Two Lovers, 2008

去年ちょうど同じ時期に見たこの監督の前作 We Own the Night(アンダーカヴァー)はこちらに来て初めて見た映画だったので、同じ監督の映画を二年続けて見れるというのはなんとなく嬉しいし、ある種の運命を感じる。去年のは同じJoaquin Phoenix主演だったけれど、どこか焦点を絞り切れていないような、消化不良な感じの映画だった。すごい力量はところどころ感じるのに、充分活かせていないような感じ。ところが今作はトレイラーを見た時点でかなりやばい気がした。実のところ、予告編でここまでびびっときたのは、ティエンチュアンチュアンの『小城之春』やホウ・シャオシェンの『百年恋歌』以来だし、欧米の映画の予告編でマジでびびっとくることなんて今までなかった。ところがこれだ。

映画作品のなかには、好きとか嫌いとかそういう次元を超えて、自分ととても直接的な関わりを持ってしまうものがごく稀にある。そういう映画ってのは、自分が今まで生きてきた人生に食い込んでくるので、いいとか悪いとか客観的に見れるのじゃなくて、そこに描かれるもののうちにそこに描かれていないものを生々しく見てしまう。そして、不思議なことに、そのように見られるように撮られている映画というのはあるのだ。俳優がその存在自体からしてとてもよいとか、アパートの使い方が上手いとか、会話がとてもよいとか、間が上手いとか、そういうことはすべて外面的なことであって、そこでほのかに揺れ動いているあこがれや寂しさ、どうしようもない思い、ぱっと燃え上がる嬉しさ、そういういろんな情念を私たちに直接与えてくる、それが映画だし、そうした情念の抱き方をするようになってしまうある種の人生というものを語ることなく語っている、そういう映画。

夏くらいからいろんな映画を観て、いくつか心に残る傑作に出会ったし、映画って面白いなあって心から思っていたけれど、でも自分が映画と直截な関係をもっていることはほとんど忘れていた。というのも、こういう映画にはここんとこ本当には出会わなかったからだ。とっても残念なことに、人との出会いでこうした映画との出会いほど強烈なものというのはほとんどない。きっと人間は映画より複雑で、知るのに時間がかかるからだと思う。にしても、映画ってのはほんとにダイレクトでありうるものだ。そのことを久しぶりに思い出してしまった。



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2008年11月06日

David Hackl, Saw 5, 2008

第一作の"Saw"はけっこう面白くて興奮した記憶がある。んが、この「5」は何なんだ。ひたすら悪趣味で、「1」のとき感じたサスペンスみたいなものが何もない。でもたくさん人が来ていたから、みんな人が死んだりするのが大好きなのだと思う。個人的には知らない人が凝った仕掛けで死んだりお互いに殺し合ったりするのを見るのはそんなに楽しくない。どちらかというと、弱い立場の人間が逆襲したりする方が好きなんだけどな。

で、「1」はけっこう面白かったのに、どうしてこんなになっちゃったのか。この変転ぶりは、映画ってものが陥りやすい罠を示しているのだと思う。安易ってことはどういうことなのかってことがこの映画を観ればよく分かる。まああんまりにもくだらないからいちいち分析したりしないけれどね。にしても、この映画、別れたい相手とかを連れて行くのにあまりに最適だと思う。



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2008年11月02日

矢口史靖、スウィングガールズ、2004

『ウォーターボーイズ』の矢口史靖監督の2004年の作品。問題は、この変な東北弁を受け入れられるかどうかで、そこさえクリアすればかなり楽しめる。日本映画を楽しめるかどうかっていうのは、このいかにも日常のだるーい雰囲気を映画観で見ることになじめるかどうかにかかっていることが多いと思うけれど、この映画は変な東北弁がその点をさらに強調しているかのように思えなくもない。けれど、実はかなり独特なナラティヴをもつ変な映画だ。

女子高生たちのもつ身体的な軽さがジャズに結びついていく過程っていうのがこの映画の見所。小津や豊田以来の日本映画の伝統(?)である女性の軽やかさを中心に置いたイメージ作りを見事に継承していて、嬉しいかぎり。それに、『スクール・オブ・ロック』系統の音楽に目覚める過程のお話しと、『青春デンデケデンデン』みたいな方言映画を足して割った感じ。んが、この映画のもつ語りはやはり独特だ。

ところどころに、主役五人たちがバイトしたり、手を叩きながら歩いたり、そのほかのメンバーが急遽再参加することになったりと、とても漫画的なシーンが入る。これは一種の省略話法になっているけれど、この映画のもつリズムによく合っている。ほかには、ビッグバンドの演奏っていうのも一種のスペクタクルとして演出するカメラとモンタージュが効果的で、この映画が素人ジャズブームを巻き起こしたっていうのも納得できる。

そして、最大の見所は、絶対初めは素人だったに違いない上野樹里らが本当に演奏しているところ。もしこれがもともとプロたちの演奏家が演技して出ているのならたいして面白くないはず。楽器については素人だった俳優が演奏しているからこそ、どことなく初々しさがある。これは企画としてかなりおいしい。それに、ドラムズの豊島由佳梨やトロンボーンの本仮屋ユイカ(おさげのめがねっ子!!!!!!!)なんか、いかにも特徴的な女子高生を演じていて、ぐっとくる。上野樹里が雪に寝そべっているシーンは特に、日本最大の正当派美少女としての面目躍如という感じ。

問題があるとすれば、いろんなエピソードをつめこんでいるせいで、はじめから集中して見ないとイマイチ話に入り込めないというところか。実際、細かいエピソードなんかは一度見ただけでは全部理解できないはず。よく言えば、作り込んでいる。なんにしても、夏と冬の日本の田舎の景色をバックに、少女たちとスウィングジャズの躍動感が見事に捉えられた映画だ。



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2008年10月18日

Michel Gondry/Leos Carax/Joon Ho Bong, Tokyo!, 2008

外国人三人が東京を題材に映画を作った。東京がこういう形で外国人監督を結びつけるのは面白いよね。もしこれが「日本」だったら映画にはなんないけれど、東京だからこそなんとかテーマ性が生まれる。これはいい企画だと思う。これがパリだったら世界中の人が見るだろうか。そうは思わない。やっぱり東京だからこそみんな見に来る。

で、初めのフィルムがすごい。これフランス人が撮ったんだよね。でも、なんかすごい日本人のことよく分かっている感じがする。みんなすごいナチュラル。すごい不思議。とくに女の子の描き方がすごい。友達の女の子の悪口とか、彼氏となれなれしくする女の子とかに苦しめられるくだりなんか、もうすごい日本の女の子な感じ。そういう微妙なものをいったい監督はどこで知ったのか。びっくりしすぎかなあ。で、最後のファンタジーというか悪夢的な展開もすてきだ。これだけ日本人が外国の監督のもとで自然っていのはやっぱり稀なことだと思う。と思ったら原作のコミックがあったのか。でもそれもフランス人が書いたものらしいけど。スティーヴン・セガールの娘だという藤谷文子もCMぐらいでしか見たことないと思うけど、キュートでよかった。

次のカラックス……ドニ・ラヴァン。と思ったら超変な怪人の役やらされているし。はじめのずっと長廻しな感じで銀座を歩きながら奇行を行うシーンはすごいよかった。東京の、いろんな人がごっちゃになっている感じがよく伝わってくる。ただこれ見て思うのは、東京に下水道はないってこと。日本人が誤解しないといいけど。社会風刺みたいなのやっているのは日本人にはあまり面白くない。よく知っていることだから。南京事件みたいな表象を強調するあたりもフランス人だなあという感じ。で、裁判とかになると退屈になってくる。カラックスなのにちょっと全体的に観念的すぎるというか、ナイーヴな気がする。うーん。八年も撮ってないから腕が鈍ってるんじゃないかなあ。

最後のポン・ジュノ。これは「引きこもり」が題材っぽいけれど、実際はポン・ジュノ節全開。小さな世界の美学。部屋の雰囲気なんかは昭和時代の文学青年の雰囲気もする。不思議なものだ。蒼井優の使い方なんかは感動ものだ。彼女が起き上がりなり、「押した?」って聞くあたりなんか日本語として完璧で涙が出る(わけわかんないって? まあ気にすんな)。そうだ、竹中直人がいかにも彼な役柄で出てくるのにも涙した(ウソ)。まあ小品として上手くまとまっていて悪くない感じがした。日本の俳優がいい映画に出ているっていうのはほんと嬉しいものだ。



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2008年10月16日

Martin Provost, Seraphine, 2007

セラフィーム・ルイというルソーと同時代の画家のお話。彼女はルソーとかを初めて発見していた絵画コレクターん家の家政婦だった。これを『アメリ』の管理人役でお馴染のヨランド・モローというちょっと牛っぽい五十代のベルギー人が演じている。彼女が映画の冒頭でいきなり足をむき出しにしつつ、鳥にパンくずをやるためにその巨体を見事に駆使しつつ木の上に登るあたりで、「ああいかにもフランス映画」と思ってしまうのはきっと間違っていない。

この冒頭のシーンにはいろんなことを読み取れる。いい機会なので一つのレッスンとして示しておきたい。まず、五十代のおばさんが主役だということがこのシーンではっきりと示されるわけだけど、おばさん、しかも巨体の女性が映画の主役になりうる国っていうのはフランス以外にあまり思いつかない。考えてみると、これってすごいことだと思う。次に、その女性があろうことも足をむき出しにしちゃいつつ木に登るということ。ここで、彼女の日常生活がほかの人のそれとはちょっと違うものであることが示されるわけで、いわば日常という枠からの侵犯行為だといえる。そして、主役の女性の選択において示されたある種の逸脱と、木に登るという行動において示された日常行為におけるある種の逸脱とが合わさることで、この映画が示す方向性が見えてくるわけだ。

どういうことか説明しよう。この二つの逸脱がほとんど自然な形で、逸脱とも言えないような自然さで提示されるのだけれど、その逸脱の仕方が彼女の自然な特異さというのをほのめかしているわけだ。だから、彼女が教会で蝋を少しくすねたり、外で草をいきなりむしりだしたりするのを見ても、いかにも彼女らしい感じがするし、ああこれは「絵」だなというのが周囲にあふれる自然がすでに豊富に映しだされていることもあって、容易に想像が付くわけだ。ええと、いや、彼女の日常の描き方がとても秀逸なわけだな。

まあそんなわけで、演出もかなりうまいのできっといい監督に違いない名だけど、日本でぜんぜん公開されていないようなのはちょっと残念な感じ。ヨランド・モローはすごい存在感と演技で、フランス映画の底力というのをつくづく思い知らされてくれる。やっぱり50台の女性を主人公にできるっていうのはすごいよ。お話しもすごい面白い。

で、一番びっくりなのが、ルソーの絵を手にとって見ているよママン、ということではなくて、セラフィーム・ルイの絵。これはほんとにすごい、つうか、こんな画家のこと知らなかったよ全然。ゴッホみたいな感じで、彼女に比べるとルソーがおとなしく思える。絵の雰囲気は完全にあっちの世界に行っている人な感じで、彼女の絵を見る人たちがみんな言葉を失って呆然としているのがすごいよく分かる。そして、手なんか使ったりしながら書いている光景も面白い。

興味深いのは、これだけの天才が家政婦しながらひっそりと絵を描いていたってことだよね。まあ、どんな境遇であれ、才能あるというか、人とかなり違うもの、というか人よりある種のものを強烈に感じたり思ったりする人間というものはいるものなんだよね。彼女に、絵画コレクタのドイツ人が「連中はきみの絵なんか分からないんだから何言われても気にすることはない」とか言って、すごいプッシュするんだよね。そんだけ一発で評価できるっていうものまたすごいこと。天才は一人だと単なる変人だけど、理解者がいて初めて天才になるってわけ。これ普遍の法則ね。



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2008年10月15日

Jacques Doillon, Le premier venu(誰でもかまわない), 2007

東京では「フランス映画の秘宝」という特集があって、蓮實さんが映画リストを作ったらしい。で、それを見た人の感想で、印象に残ったのが次の六つだったってネットにあった。

1『曳き船』
2『最後の休暇』
3『海の沈黙』
4『肉屋』
5『野蛮な遊戯』

グレミヨンとかおおっぴらに映画館で見られるなんて、すごい幸せなことだよね。いいなあ。で、この企画に含まれていたのがドワイヨンの新作。これは見ました。でもこっちでは監督自身が紹介してくれたのでその点は東京に負けていないはず。

で、お話しはちんぷんかんぷんだった。でも、変だったとしか言いようがない。主演の女の子の表情とかまなざしがとても印象に残る。で、カメラは手持ちみたいで二人の周囲をぐるぐる動くみたいな映像だけど、これが悪くない。ひたすら変な人間関係を表象することに重点を置いている感じ。

で、最後の一連の展開にはもうびっくり。あ、ぜひ報告しておきたいんだけど、隣に座っていた女の子たちは何かあるたびに、びっくりしたり息をのんだりあきれかえったりしていて可笑しかった。なんつーか、まったく展開が読めないので、そういうのが好きな人と一緒に見ると盛り上がれるかもしれない。



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2008年10月10日

Julio Medem, Caótica Ana, 2007

フリオ・メデムという監督は日本でも知られている人で、その新作。とにかく、女優さんがとてもよい。美人でかわいいし、惜しみなくその放漫な肉体をさらけだしてくれている。最後には髪型とか化粧もかわった数年後の彼女が出てくる話で、それもうれしい。映画ってのはそういえば美人女優へのクローズアップのために生まれてきたんだな、と思わせるような映画。

話は変。なんだかその彼女がhypnotiqueになって別人の、死んだ女性の話をするんだよね。で、みんなが寄ってたかって催眠して話せだの、話したことを聞けだの、彼女にふっかける。でも、彼女は興味があるのか、嫌々なのかなんかはっきりしない感じ。転生なのか、乗り移りなのかもはっきりしない。彼氏の存在も微妙。いろいろすっきりしない感じ。でもまあそれでいいかなって感じ。

とにかく、女優さんの存在感に充ちているんだよね、画面が。ストーリーはね、その口実にすぎなくってもいい。まあ、そうい思えるほどなわけ。いやー、これはすごいね。美人で演技できるってのはすごいね。世界中の人がみたがるんだもんなあ。若くて美しいってことの輝きをしかと見てください。まあ、日本で公開されるかどうかはわかんないけど。

んで、最後のオチの付け方とか、なんか漫画っぽいんだよね。絶対この監督漫画おたくだと思う。なんかそういう気がする。適当な展開とかが日本の漫画っぽい。最後ギャグになりつつも、ぐちゃぐちゃなのが逆にすっきりする、というところがね。なんにせよ、スペイン映画は言葉がきれいだし、なんだか独特の雰囲気があるし、いいですね。
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2008年10月09日

Richard Linklater, A Scanner Darkly(スキャナー・ダークリー), 2006

『バシールとワルツを』と同じロトスコープで作られたアニメということで見てみた。ああ、これはすごいな。とても無駄にすごいし、無駄に偉大だ。こんなことをやる人だったのかリチャード・リンクレイターという監督は、うーん。しかし、フィリップ・K・ディックという人も相当すごい小説家だな。無駄に設定をSFにしているおかげでみんな偉大な文学だとは思っていないみたいだけど……。彼も無駄に偉大だ。俳優陣も無駄に豪華(きっと無駄じゃないんだろうけど)。すごいよなあ、これをアニメで置き換えちゃうんだもん。ああ、なんてカルトな映画。

だから、なんでアニメかってことでしょ。それはアニメのほうが、ヤク中の日常感覚を再現できるってことなわけだけど、これは特殊な感覚だし、あんまり理解されない感じだよね。でも、最初の虫のシーンから、そのへんの意図は明らかで、ホロスコープのシーンなんかはアニメだからこそのリアルさってのに到達していると思う。まあ、マニアックだけど。

これ、普通のアニメとして見るとすごい違和感あるよね。しゃべり方がアニメじゃない。これははっきりと思った。アニメのしゃべり方ってやっぱりあったんだなって思った。そんで怒濤のような言葉言葉。いかれた言葉。いかれた仕事。いかれた薬。いやはや。うーん、なんと言えばいいのかわからんが、これは映像表現というもののある種の極北に達していると思う。

アニメで、こんなことができるということを示したこの映画の功績は計り知れないと思う。まあ、これ以前に"Waking Life"というやはりアニメ作品があるんだけど、それは見てない。うーん。やっぱりアニメってすごいよ。



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2008年10月07日

Pere Portabella, Die Stille vor Bach, 2007


「バッハの前の沈黙」という意味のバッハへのオマージュ的な映画。いろんなシーンが出てきて、いろんな形でいろんな楽器でいろんなバッハの曲を演奏する。シーンの配置とかは下手くそで、長く感じさせるけれど、どのシーンもまあまあよくできている。この映画の素晴らしいところは、バッハの曲の響かせ方にある。ハーモニカでどこだっけか、ゴールドベルクだと思うんだけど、その一部を演奏して見せたり、地下鉄の中でずらーと座席に座ったチェロ弾きが演奏していたり、バッハの役の人がパイプオルガン弾いていたり、バッハの子ども役の人が平均律クラヴィーア弾いていたり、そんな感じ。

圧巻なのは自動オルガンの演奏。誰かが弾いたものをレジストしたものだと思うんだけど、それが紙にデジタル方式で記録されていて、それがぐるぐると流れていって演奏される。で、見ていると穴の配置で音が出ているんだなってことが分かるんだけど、次第に穴の配置自体が音楽に見えてくるんだよね。いかにもデジタルな装置がアナログな音というものに変わるということ。これって別に不思議なことじゃあないよね。だってDNAだってデジタルでしょ。でも、なんというか音楽というものの得体のしれなさを不思議な仕方で感じさせてくれた。ほかにも、楽譜が演奏に沿って流れたりして、それも面白かった。あ、マタイ受難曲の自筆譜を肉屋の包み紙からメンデルスゾーンが発見したのは本当らしいけれど、それ以前に写本を彼は子どもの時に送られていたとのこと。

だから要するにバッハなんだよね。こういうオマージュ、32ものシーンからなるような、シーンごとに楽器が違うような、そんな映画を作れるのはバッハだけだと思う。いかに彼が偉大かってこと。実際、音楽の歴史では、彼があまりにその時代の音楽を完成させちゃったために(フーガとか)、次の時代では旋法よりも和声になるとか、とにかく精確には説明できないけど、大きな変化が起こっちゃった。というわけで、バッハは一人で全部やっちゃった人なわけで、たいへん罪が重いのである。えーと、というわけで、バッハの有名な曲とか好きな人なら、どの曲がどういう風に演奏されているか見るだけでかなり楽しめるはず。
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2008年10月02日

Ed Harris, APPALOOSA, 2008

西部劇というのは趣味的な映画が撮られることの多いジャンルだけど、これはもうほんとに監督が好き勝手やった映画という感じ。まあそれほど悪くはないのだけれど、これだけいいキャストがよく従ったなあと思ってしまう。レニー・ゼルウィガーがミスキャストなのがけっこうつらいのと、何を語りたいのかよくわかんない筋書きにイライラすること請け合い。でも、あくまで気持ちのいい西部劇に仕立て上げない監督の野心には感心した。

ヴィゴの存在感がやっぱり一番かな。寡黙な彼が実は主役だったという感じの演出には心引かれるものがある。彼がインディアンに一人で無言の交渉に赴くあたりが中盤のクライマックスか。銃撃戦がほとんどギャグでしかない、というのがこの西部劇の魅力。でも、一番の魅力はびゅうびゅうと町に吹き荒れている風なんだろうけど。

これ見て改めて思ったのは、西部劇ってアメリカ人にとってもエキゾチックなものなんだなあってこと。昔のアメリカはやはりイギリス文化の国で、女性の衣装なんかはまさに古いヨーロッパのもの。映画の中でメキシコ近くの町に立ち寄ることがあるのだけど、そこではスペイン文化で、服もスペイン風。要するに、荒野を舞台にイギリス紳士と荒くれ者たちがあくまでも初めはイギリス風に交渉したりなんかするのがエキゾチックなわけ。変なものだねえ。

で、この映画、ロバート・パーカー原作ということで、最後にヴィゴが当てもなく去るシーンでは、いかにもアメリカ小説の伝統にある放浪を暗示する終わり方で、いかにもそれらしい感じ。とにかくこの映画は、なにかとてもアメリカ的なものを強く感じさせてくれるのでした。
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