2008年10月02日

Christophe Barratier, FAUBOURG 36(幸せはシャンソニア劇場から), 2008

『コーラス』の監督の新作。1936年のフランスのとある劇場が舞台で、その時代の社会が背景になっている。戦前が舞台だから、牧歌的な話かと思うと、暴力的なシーンが容赦なくあったりするのが現代的な感じ。非常にソツのない手口でいろんなことを語ってくれる。斬新だとは思わないけれど、とても質の高い映画という感じ。女優さんも美人。



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2008年09月30日

渡辺歩、映画ドラえもん のび太の恐竜2006、2006

これの発表は『時をかける少女』と同じ年だったということもあり、二つ揃えてかなり野心的な作品として『Invitation』なんかで取りあげられていた。『時かけ』を先に見てしまうと、それほどの傑作ではないと思えてしまうけれど、野心的であるのは間違いないと思う。日本人なら誰もがドラえもん論を一時間はできるという国民的漫画の劇場版アニメ第一作のリメイク。オリジナルが1980年だったわけだから、26年ぶりというわけだ。

アニメが26年前とは別物になっているということを証明するかのようなディティールの追加。それを見るだけで、アニメという映像表現がどういうものなのかが分かるはず。たとえばタケコプターで浮遊する直前の風の流れの表現、空中での速度感などなど。そういうディティールを楽しめない人はきっと映像表現というものを楽しむことのできない人だと思う。

んで、このバージョンで特徴的なのは、人物や表情の動きの柔らかさにあると思う。ドラえもんという漫画はコマ割りも直角だし、アニメでも動きもそんなに滑らかじゃないという印象があった。それが非常に柔らかい動きをする。これはニュードラえもんと言ってよい。そして、その動きが新しい声優陣とよく合っている。映像が与えてくるイメージと、声のイメージとが共に新しいものなので、同じドラえもんのはずなのに、全然違うドラえもんを見せてくれているという感じがする。こういう捕らえ方はちょっとマニアックかもしれないが、国民的アニメだからこそ可能な試みで、斬新な演出方法だと思う。

それで、恐竜をペットにするというこの話。今見るとなんだかものすごくオーソドックスな内容。ドラえもんでなくてもいいくらいだ。実際ドラえもんはかつてないほど(さかのぼってみるとそう感じるんだからしょうがない)活躍しないし。これが今見るとほんとうに古典的に思えるのだから、時代というのは不思議なものだ。

古典的なものを新しい装いで見せる。それを歌舞伎とかでなくアニメでやるにはかなりの確信と野心をもっていないとできないもの。やはりこの監督はたいしたものだと思った。次回作が楽しみですね。



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2008年09月29日

Rob Minkoff, THE FORBIDDEN KINGDOM, 2008

カンフー映画マニアのアメリカ人が如意棒を手にしたことで中国っぽい世界に飛ばされてジャッキー先生にカンフー習って孫悟空を蘇らせにいく話。典型的なハリウッド映画とかみんないってるけど、これ、ぶっ飛みすぎでしょ全体的に。



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2008年09月24日

Vadim Perelman, The Life Before Her Eyes(ダイアナの選択), 2008

意外と劇場で誰も入らないような映画というのはやっているものだ。まあそういう映画ってのはわざわざここで取り上げたりしないのだけれど、これはさすがに平凡を極めていたので逆にすごいと思った。ウマ・サーマンとか、ダイアンの若いころのお目目のでかい友達とか悪くないと思う。んが、高校での銃乱射事件を題材に作ったこの映画、どうにもこうにも平凡だ。まあ、死ぬほど退屈というわけでもないし、主役の女の子たちも可愛くってよいのだけれど、まあそれだけ。

原作は、日常の美しさみたいなのを詩的な文章で綴った素敵な小説らしい。それをこんなありがちなスリラーにしちゃうなんて。間違っているとしか言いようがない。だいたい、高校銃撃事件を生き残って、中絶経験して、嫌な親の元で育ったアメリカど田舎の女性が、わざわざ教師になり、結婚して子供つくり、同じ町で暮らしているとか、設定からして無理がある。ウマは悪くないのに、彼女の日常があまりに魅力がない。結局、原作と正反対ってことなんだろうな。

でも、逆に言えば、いつ高校で撃ち殺されるかもわかんない恐怖に怯えながら、保守的な周りの連中にうんざりしつつ青春時代を生きるしかない絶望的なアメリカの田舎のリアルってものに忠実である、といえるのかもしれない。このほんとに胸の悪くなる一連の悪夢、それがアメリカの現実だってこと。だから、不幸にも語学留学とかでアメリカの中西部とかに行こうとする人は、行く前にこういう映画を見て勉強しておくといいと思う。



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2008年09月23日

宮崎吾朗、ゲド戦記、2006

すごーい。あのすばらしい原作をこんなに魅力のない話にできるとは。あの原作の世界観もいつものジブリのキャラ造型によってぶち壊しになっている。テハヌーってこんな子だったっけ? いや、そもそも彼女が出てくる必然性がない。まあ、私は四作目までしか読んでない(あそこでけっこううんざりした。ル=グィンにははどこか平凡さを超えられない部分がある気がする)ので、文句を言える筋合いではないのかもしれないけれど、まあこれ作った人間は原作の魅力なんてまったく分かってない。そもそもこれって、『シェナの旅』のエヴァンゲリオン風バージョンに過ぎない。それに、生きていることのすばらしさなんて、説教だけで伝えられると思っているみたいなのがどうしようもない。そういうのは、「青臭い」のではなく、「幼稚」なのだ。何かを語るものとして。

こういう日本映画に多いできそこない映画は、作家主義というものの弊害なんだろうと思う。映画の価値が日本ではとても低く見られている反動かもしれんが、作家性みたいなのを無条件に信じている連中が多すぎる。映画はそれ以前に産業なのだから、プロの脚本家、演出家、プロデューサーらによる何段階ものチェックによって、少しずつよいものを作っていくという体制の下で作るべきなのに、そうなっていないというのがよく分かる。それができないのは多分に日本的な人間関係によるものなのかもしれない。まあ、しょうがないですな。

でも、日本の映画製作事情より深刻なのは、これに感動できちゃう子供が日本にいるってこと。なんかしかも、この映画に否定的な連中に必死で喧嘩売ってるらしいじゃないか。そういう子供たちって、映画見るの生まれて初めてとかなのかな。いや、でも私だったら、これが始めてみる映画だったとしても感動はしない。いや、感動することが悪いって言っているんじゃなくて、精神的な幼稚さが問題なんだよね、ここでは。これ感動するの、十台とかだろうけど、そういう子供の親は自分の子供がちゃんと育っていないことに気づかないといけない。世界名作劇場をちゃんと見せるとか、ヒカルの碁DVD買い与えるとか、いろいろ対策はあるはずなので、その危機をきちんと認識して対処してほしいものです。

でも逆に、自分の子供がきちんと育っているのかどうか不安な親は、これ見て感動しちゃわないかどうかで、ある側面に関しては確認することができるので、そういう意味では利用価値がある映画だ。これ見て感動しなくて、『クンフー・パンダ』で感動できたら大丈夫ですから、安心してください、と言っておこう。



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2008年09月16日

Mike Leigh, Happy-Go-Lucky, 2008

サリー・ホーキンスが明るくってつねにhappyな女の人(30の!)を演じていて、彼女と、彼女に劣らない変な人たちとの交流を描いたお話し。このPoppyの造形が絶妙のバランスで作られていて、一歩間違えれば頭の変な人なのに、そうならずにすんでいる。というのも、彼女も怒ったりするし、悲しんだり、人の悩みに耳を傾けたりするからだ。

いや、でもこの映画で一番変なのは、彼女以外の人物たちだ。その1.フラメンコの先生。彼女はもうなんだかわけがわからない。授業中に感情が大事だってことを強調して教えていると自分が興奮して泣き出しちゃう。とにかく強烈なキャラ。フラメンコ教室って日本でもこんななのかなあ。そんななら、ぜひ一度覗いてみたい。

その2。いかれた浮浪者。あーこういう人に話しかける人ってすごい人だと思うけど、Poppyだからね。んで彼はずっと"you know, you know, you know, ya'kno, ya'kno, ya'kno, ya'kno, ya'kno, ya'kno, ya'kno"とか、"she was, she was, she was, she was, she was, she was, she was, she was"とかを永遠にリピートする人で、彼をPoppyは哀しい目で見つめるわけ。この浮浪者の造形もすごいし、セリフもすごいし、役者もすごい。

その3。車の教習官。いや、実は彼が主演じゃないのってくらいストーリーの中心を占めている。こいつがまた教習官にありがちなタイプなんだよ。つうか、アメリカでも同じなんだなあ、そういうの。いやに神経質で、すぐ怒鳴るし、ずっと仏頂面。で、彼はだんだんとPoppyに対する人格的な攻撃に近いことを言ようになるんだよね。どこにもハッピーな人生なんてないんだ、とかだんだん無茶苦茶なことを言い出して怒り出す。いやー、こいつとのやりとりってのはしつこいくらい繰り返されるんだけど、面白いんだよね。いい役者だと思う。

でも、どうしてこういう不愉快な人との摩擦を描いているかというと。それはこの映画が、happyだと素晴らしいよねっていうお話しじゃなくて、happyでいるとつねにある一定の人々をストレスにさらすっていうことなんだよね。たとえば彼女の姉なんかは、妊娠していて、Poppyにあなた幸せになりなさいよなんて言う。で、Poppyはあたしは幸せだよっていうと、「あんたは私が安易な選択をしたといって責めているんだ」と言って怒り出す。これ、典型的な例だけど、こういうふうに自分が幸せだって言うのは、特定の人間にオフェンシブな言葉として作用するんだよね。で、監督はそういう可愛そうな人間だちをあぶり出そうとしているってわけ。これは、クレバーな映画だし、単純にコメディには分類できないと思う。

全体的に、映画ならではの分かりやすい人物造形が見事に効を奏していて、上手くできている。とくに、30台の女性っていう設定が上手い。これ、20台だと浅くなるだろうし、40台だと無理がある。んが、これを日本の映画購買層の主流である20台後半から30台くらいの女性に売るときに、どんな風にするのかな。きっと売れないと思うんだよね。だって日本って、Happyだって言ったらすぐ精神病院送りになるんじゃなかったっけ? きっと日本の多くの女性はPoppyに反感を持つことになるんだろうと思う。日本での公開が楽しみですね。
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2008年09月15日

Madonna, Filth & Wisdom(ワンダーラスト), 2008

なんか普通によいイギリス映画なんですが、これ。マドンナ本人は出ていない。彼女ほどいろんな才能のある人なら、もっと前に映画撮っていてもおかしくないけど、今まで待っていたというのは、彼女結構映画に熱心なのかもしれない。

主役のユージン・ハッツはそのまんまウクライナ出身のイギリス人の役。ホリー・ウェストンはバレリーナになることを夢みる女の子。こいつらがとてもいい味を出していて、もうそれだけで成功しているようなもの。こういう、キャラ立ち系映画ってやっぱりイギリス映画っぽいよね。ホリーの可愛くってセクシーなこと! この二つの魅力は日本人の女優には同時には出せない。

で、いろんな変な人が出てきて、ナレーションが入って、悪趣味だったり、ぐちゃくぐちゃだったり、群像劇だったりと、ちょっと昔の映画っぽいんだよね。けっこう真面目にイギリス映画やってるというか。まあ、初監督作でこれだったら、かなりよいと思う。だから、初回作はみんなマドンナということで見に行くと思うけど、二回目はそうじゃないだろうかもしれないけど、でも、次回作はもっとよくなるんじゃないかな、という感じだから、二回目も楽しみにしたい。



ラベル:MADONNA
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Alexandre Aja, Mirrors, 2008

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韓国映画『Mirror 鏡の中へ』のリメイク。『24』の撮影がストで中止になっている間、撮られた映画ということ。キーファー・サザーランドが廃墟になった家に入って、鏡に写る幽霊に悩まされるという話。話はそんなに怖くないけれど、演出がそこそこ怖い。ホラー映画としてはまあ及第点のできだと思う。



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2008年09月13日

Tao Peng, Xue chan(Little Moth), 2007

乞食をさせて儲けるために足の動かない女の子を買ったりするドキュメンタリー風の中国映画。もちろん中国では上映禁止。こういう映画を撮って生きていられるのだから、一般民衆のレベルでは中国のほうがそういうことに関しては韓国より寛容なのかな。あるいは単に情報がないだけなのかな。

ドグマみたいな感じの手持ちカメラでずっと進む。今の中国でもこういう映画が作られているのかって感じもするけど、『鉄西区』があったからね。んで、ひどいのはカメラがときにすーっと動くんだよね。足を映したり、バッグを映したりする。んで、その使い方が人物の心の動きを現そうとしていたり、監督の主張を言わんとしていたりで一貫性がない。つうか、そういう撮り方でカメラが上下に動いたりするのってすんごくわざとらしいと思うんだけどな。ドキュメンタリー風の撮り方をする場合でも、美学ってものがある。やっぱり、ダルデンヌ兄弟はすごいんだなってことがよく分かった。

いろいろ気に入らないこの映画。一つにはカメラ。二つのはとことん偽悪的なところ。ほらー中国ってのはこんなにひどいんだよー、みたいなので世界の人の関心を買おうとしているような気がした。第三にヨーロッパ人受けしすぎ。あいつら今更中国のネオリアリスムだとかいって喜ぶなよ。なんだその文化的優越感に基づいた評価の仕方は。そうじゃないのかもしれないけどなにか気持ち悪い。確かに、中国以外のアジアでこういう映画を撮ろうとする人がいないってのは問題なんだけどね。河瀬は違うし。うーん。

でも一方では、日本について映画で語るっていうのは、今の時代とても難しいような気がするんだよね。学級崩壊、過労死、ひきこもり、とかそういうの撮れっていうんだろうけど、うーん。普通のドキュメンタリーならたくさんあるし、映画学校の生徒とかが撮っているとは思うんだけど、どうなんだろうね。というわけで、私はこの映画を観て、本来考えるべきである中国社会の貧しさみたいなのについてではなく(そんなことはもう知っとる!)、今日の映画世界のいびつさについて考えてしまったのだった。
ラベル:Tao Peng 中国映画
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2008年09月10日

Ridley Scott, Black Hawk Down(ブラックホーク・ダウン), 2002

1993年に起きた米軍とソマリア民兵との戦い(モガディシュの戦闘)をリアルに描いた新世代戦争映画。どこが新世代かというと、従来の戦争映画の内容は、ベトナム戦争をなどを描いたゲリラ戦や、正規軍同士の戦いを描いた正規戦だった。ところがこれは、非常に複雑な政治情勢のモガディシュで、市民と民兵が入り乱れる市街での不正規戦を描いている。これがゲリラ戦とは区別されるのは、一般市民の生活圏まっただ中での戦争だという点にあると思う。

さて、確かに1993年頃、ソマリアのニュースが新聞を賑わせていたのは覚えている。んが、当時はいったい何が起こっているのかまったく知らなかった。で、これを見ると、米軍がどうして撤退したのか、なぜ今になってもソマリアの政治的に不安定な状況が続いているのかってことがなんとなく分かる。よく、米軍を戦争したってことだけで日本の左翼の人たちは批判するけれど、これを見れば、世界はもっと複雑だってことがよく分かるはず。第一に、戦場に悪人も善人もいない。第二に、米軍がいなくても世界中で紛争は絶えないということ。そういうこと。

だからこの映画は、特殊な形体の戦争映画ではなくて、いまの世界の混沌とした現実を描いているんだと思う。婦人が銃をもって向かってくる戦場、市民が民兵に脅かされながら民兵と一緒に向かってくる戦場。少年がマシンガンを使いこなしている戦場。恐ろしいのは、戦争ではなくて、そういう現実そのものなわけ。もちろんそういう現実ってのは戦争が起きていなくても日常的なわけだけど、戦争になってそのことに私たちはようやく気づくことができるってわけ。

だからこの映画は、『プライベート・ライアン』以降の最も重要な戦争映画の一つだと思うけど、『プライベート・ライアン』からたった四年しかたっていないというのに、映画における戦争っていうのがもう別のものになっているってことに驚かされる。



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