2008年09月09日

Hong Sang-soo, Night and Day(アバンチュールはパリで), 2008

この監督の名前だけは覚えていたけれど、誰だったのかが思い出せなかった。見ているうちに、『気まぐれな唇』というタイトルよりも、ホン・サンスという名前が鮮明に浮かび上がってきた。まあ、そういうのを「作家性」といわずになんと言おうか、という感じだよね。五年前に『気まぐれな唇』を見たときは、手持ちカメラが作為的なのと、馬鹿っぽい男の描き方がいやみたらしくてうんざりしたんだけど、今回は役者が信じがたいほどよく、嫌みっぽさも気にならない。そして、日常の細かい描写がほんとに冴えている。この監督、名声に実力が追いつきつつあるみたい。そんなこともあるんですね、幸運な人だ。

キム・ヨンホが無茶苦茶味がある。そして、パク・ウナが無茶苦茶かわいいということにつきる。二人ともとても自然体で、こんなに韓国人っぽい感じが出ている映画は初めて見た。例によってキム・ヨンホが嫌な男役のはずなんだけど、これだけ味のある俳優だから、ときに監督の意図をあざ笑うほどまでに嫌みがない。最後のシーンで分かりやすい形で嫌な男をやらせられているのが違和感を感じるほどだ。ざまあみやがれホン・サンスって言いたいよね。

んで、ホン・サンス的に馬鹿な女役のはずのパク・ウナはとても癖のない素直な顔つきなので、やはり嫌みがない。というか、彼女の髪をたばねる仕草、怒ったときの顔つき、キスの仕方、どれをとっても最高に普通の可愛い女の子です。これはすごい。こんなに女の子が普通な感じでスクリーンに写っているのは希有なこと。監督のことをカサヴェテスという人もいるし、ゴダールという人もいるけど、それもわからないでもないという感じ。これについては、監督女好きだってこともあるだろうけど、ホン・サンスに固有の勝利だと思う。

これだけいかにも韓国人って感じの雰囲気が良く出ている映画は初めて観たなあ。舞台がパリっていうのも効果的だと思う。外国で国民性みたいなのってすごく出るからね。だから、パリなのにフランス人がほとんど出てこないっていうのも当然で、監督が撮りたいものっていうのは大胆不敵なまでに明快だったんだと思う。この、言葉にすることができない、映画を見ることでしか分からないような、韓国人っぽさみたいなの、そういうのを描こうというのは、やはりただ者ではない。映画というものをよく分かっている。

多少長いけれど、とにかく主役に魅力があるし、毎度の嫌みな雰囲気もコメディっぽい雰囲気に紛れて明らかに見やすくなっている。これは、ホン・サンス嫌いの人にも、パリ好きの人にも、韓国人に興味がある人にも、そしてすべての映画好きにお勧めすることができますです。



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2008年09月07日

Griffin Dunne, The Accidental Husband, 2008

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世界で大ヒットするだろうウマ・サーマン主演のラブコメ。だがこれはただのラブコメではなく、結婚を目前にした男が魅力的な女性にあって大騒動という筋書きが特長の「スクリューボール・コメディ」というもっとスペシフィックなジャンルに属する。男と女を取っ替えて、NYを舞台に現代版にしたのがこれ。アメリカ映画の輝かしい歴史の一部であるこのジャンルに挑戦した、とても野心的な映画に仕上がっている。

おっと、ラブコメみたいな軽いジャンルの映画にこんな真面目な書き出しをするのはおかしいと思われるかもしれない。ところが、このような一見誰にでも受けるような映画にこそ、映画作りの叡智の全てが宿っているのだ。こんな優れた映画を作りあげるほどのインテリジェンスに比べたら、世の中のほとんどのインテリの仕事なんて大したことはない。リズムがとてもよく、展開にすきがなく、何度も盛り上がりがあり、しかも現代の女性たちのある種の典型的な心情を見事に話に乗せている、といったこと。こういう脚本を書くのが簡単ではないことは、日本の凡百の映画を観てもらえば分かると想う。

さらにこの映画はJeffrey Dean Morganの圧倒的に素晴らしい演技が光っている。復讐するために市のデータを操作して、ウマと結婚したことにした彼が、尋ねてきた彼女にちっとも復讐なんかせずに、野性的であると同時に紳士であるという、誰もを虜にせずにはおかない男っぷりを見せている。これこそ、まさに現代の女性が求める男性の完璧な理想像。それをまったく嫌みなく演じきれるというのは驚嘆に値すると思う。例えば、こんな男性を日本の男優が演じれるかどうか考えてみたらいい。誰にも無理だと思う。

背の高さがたびたびネタにされているウマも役柄にぴったりだ。Colin Firthも、いかめついイギリス男を見事に演じていてさすがだ。ウマの父親役のSam Shepard、ウマの同僚役のLindsay Sloane、モルガンの同僚役のAjay Naiduなど、脇役人も豪華かつ見事であり、彼らの姿がもう少し見たいと思うくらいよい。インディペンデント映画会社がこれほどの俳優を集められるってのは驚きだ。

OK、男性諸君の多くがこの映画に不満を持つことになるのは知っている。モルガンの演じる役が気にくわない、という人はイギリス男性か? えー、知るか。そういう人は女性にモテる男がどんななのかこれで勉強するべきだと思う。シナリオに深みがない? えー、そういう人は『ダークナイト』みたいなので喜べるんでしょ? あのね、こういう映画の深みっていうのは、きらっと光る脇役人の存在だとか、各シーンが何度見ても飽きない、とかそういうところにあるんだよね。あんたがいろいろとアタマん中でいじくり廻して解釈する余地があるってことが深さなのではないのよ。

でも私はこれがいろんなものの資料であることは発見できるけどね。ちょっと知的なアメリカ女性の、典型的な恋愛に対するシニカルな態度とか、NYのインド料理屋のアパートに住んでいるfiremanとか、そういう風俗の取りあげ方が面白い。これで、USAの都会ってのに、どんな人がいるのかよく分かると思うんだよね。たとえば、ケーキ屋でのほかの客の反応なんか見てご覧なさい。これは映画的誇張もあるだろうけど、第一に、ありえないことではないってことなんだよね、あそこでは。ああいう人たちってのが、ラブコメの世界を可能にしているわけよ。東京でラブコメなんかは死んでも無理だってのがこれを見ているとよく分かる。というわけで、この映画の豊かさ、それは一方ではスクリューボール・コメディの歴史に負っていて、他方では現代のUSAという世界に負っているということが言えると思います。そして、歴史現在の世界との両方に負って作られるもの、それが映画なのである、と断言して今日の授業を終わります。
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2008年09月04日

Barbet Schroeder, INJU, LA BETE DANS L'OMBRE(陰獣), 2008

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「おフランス」というのがあるとすれば、「お日本」というものもあると思う。京都に芸子とか、お茶とか、そういういかにもフランス人が好きそうな日本。そういう「お日本」のイメージを惜しみなくつぎこんで作った、なんともいえない奇妙な趣味的なスリラー映画がこれ。これ、マジでヴェネチアに出したのか。なんかいつものことだけど、日本人さらし者だなあ。かわいそうに。

冒頭で、いかにも安っぽい感じの映画内映画があって、明治あたりの怪奇映画っぽいのを主役のフランス人がフランスで生徒に見せているっていう設定なんだよね。「うんたらかんたらで興味深い」とか。そんだったら私はこの映画を日本人に見せて「フランス人の日本趣味が特異な形で表れている」とかなんとか述べたいものだよ。だいたいそういう映画ってけっこう居心地悪い気がするんだけど、ここまでやってくれたらもうギャグ。なんつーか、とてもファニーな感じ。

いやこの人、日本が分かってないとかいう以前に、いろいろ分かってないでしょ。スリラー小説なんかの専門家が大学にいるわけなんかそもそもないし、だいたいフランスのスリラー小説なんか日本人誰も読まないつうの。設定からしておかしい。日本でサイン会開くほど有名な若い外国人の作家なんかいない。それに、出版社の人間がフランス語ぺらぺらつうのもありえない。これ見て、仕事できる人にならフランス語通じるんだ、と思ったフランス人が日本来てトラブルになんなきゃいいけど。

もっとおかしいのは、無駄にヤクザとか出てきて、英語ぺらぺらなんだよね。最近のヤクザは国際化進んで英語勉強しとるのかもしれんが、これもまずありえん。アメリカのマフィアがこれ見て、日本のヤクザには英語通じるんだと思って来てトラブルになんなきゃいいけど。タクシーの運ちゃんまで英語通じるしさ。これぼくの知ってる日本じゃないよ。ヤクザの家が明らかに特殊な建築物だっつうのも変。モダンすぎるっつうの。ヤクザんちはすごいんだと思って尋ねた人が……。まあいい。

んで、全体的になんか煮え切らない感じのスリラーで、とても変な感じ。で、最後に謎解きみたいなのがあって興ざめさせてくれるっていうものすごい。なんかことごとくこっちの信頼を裏切ってくれるような映画。でも、前にもマイナーなフランス映画でみかけたことのあった源利華は、フランス語しゃべれるってだけで使われているのかと思ったら、案外悪くない感じだし、けっこうセクシーなのは意外だった。彼女はいいですよ。もうちょっと若い頃から出ていればなあ、という感じ。

えー、フランス人が作った日本映画、と言うにはかなり特異な感じだけど、そこが『ラストサムライ』みたいなの作っちゃうアメリカよりも、むしろフランスらしい歪み方なのかもしれない。私はそんなこといろいろ思いながらみたのでけっこう楽しかったんですが、ほかの日本のみなさんがどう感じるのかが気になる映画です。



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2008年09月03日

Oxide Pang/Danny Pang, Bangkok dangerous, 2008

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Nicolas Cageが主演だからといって、これをハリウッド映画に分類するのはやめてほしいなあ。だってこれはタイ映画だもん。バンコクのジョニー・トーらによる本格的タイノワール。なんとこれだけの監督でありながら、はじめて接したパン兄弟の作品。すごかった。マジですごかった。

いやもういろいろありすぎるんだって、この映画。プロのチョー渋い殺し屋に、とてもかわいいごろつきとの師弟関係、口のきけない超かわいいタイのお姉さん、バンコクにあふれているぞうさん、モーターボートでの追跡劇、夜の街を舞台に駆けめぐる陰謀と暗殺、もうね、次から次へとおいしい場面ばっかり出てくるんですよ。なんなんですかね、これは。いろんな映画のベストシーンのつなぎ合わせみたいな映画だよ。いい意味で。

これは、ほんとにジョニー・トーなんかをかなり参考にしているんじゃないかなあ。つうか、彼に対抗できる、つうことは世界最高ってことだけど、のアクション映画を撮れる人だと思うよこの兄弟。えーリメイクらしいとかそういうことはどうでもいい。いや、ハリウッドリメイクにしては出来過ぎていると思ったんだ。ひたすら夜で統一してるとことか生半可じゃないもの。と思ったら本人によるリメイクだったわけよ。

夜の街っていうものの魅力、夜っていう舞台の銃撃戦における魅力、これをもう最大限に活かしているんだよね。あなたの目の前でバンコクが唯一無二の映画都市に変貌していくさまをしかと見届けてほしい。これは事件ですよ。

最後の銃撃戦では、これだけ闇を舞台にしてきたのに、まだ中でやるんかい! というくらい闇での戦いが続く。このシーンはね、ふふふ私たちはいくらでも闇を活かした最高のシーンが撮れるんだよっていう宣戦布告だよね、映画史に対する。なんと大胆不敵で自信に満ちた連中なんだろう! 超マイッタ。
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2008年08月31日

Jean-Pierre Dardenne/Luc Dardenne, Le Silence de Lorna(ロルナの祈り), 2008

タルデンヌ兄弟の最新作。フランス国籍を取得するためだけに酔っぱらいのフランス人と結婚したロルナが、だんだんと旦那に愛着を感じていくというお話し。この、はじめに描かれる冷え切った夫婦の関係ってのがほんとリアルで胸に応える。これはけっこう好きな映画だな。
http://www.cahiersducinema.com/article1671.html



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2008年08月30日

Mathieu Kassovitz, BABYLON A.D., 2008

10人いれば9人は否定的な態度を取るであろうこの映画。私は肯定派なんです。べつに、偏屈だからじゃなくて、ほんとにけっこうよくできていると思うから。とくに、各シーンごとに雰囲気が違っていて面白いし、その場所の雰囲気がとてもよく出せている。

冒頭で主人公が目を覚ます東ヨーロッパのマンションと、その周辺なんかは無駄にディティールに懲りまくっている。ヘリで運ばれる車っていうのもすごい。駅前の群衆。そんでロシアの混沌とした場所。雪を突き破って浮上する潜水艦に群がる人々、それを打ち落とす人。国境の雪原を守る無人戦闘機。この映画は、こういうシーンを楽しむ映画で、カメラもよい。んでも、あなたはいろいろ不満がある。「オリジナリティがない」とか「ストーリーが無駄くさい」とか。まあそう。でもそれには理由がある。

まず、確かに未来を舞台にしているのに、これが未来だ!みたいなはっきりしたイメージを提示していないこと、これが凡庸に見える原因の一つだと思う。そして、そういうギミックは最小限に抑えられているといっても良い。それはむしろ意図的なこと。んでも、実はちゃんと未来だぞっていうイメージはちゃんとだしてある。それは世界がもっと混沌としているってこと。各地で戦争、難民、怪しげな宗教団体の持つ恐ろしげな力、などなど。つうか、それ未来じゃないじゃん、っていいそうなくらい今に近い。でも、まあそんなに設定が未来じゃないし本当はこれこそがリアルなはず。つうか、どんな未来があるとしても、脳にコンピューター埋め込んだりするようにはならないんだよ。この映画が描きたい未来はファンタジーじゃあないんだ。

んだから、これは一種の黙示録なわけだよね。そんで、それに見合うだけの格調があると思う。ヴァン・ディーゼルにMélanie Thierryは、役柄にあまりにぴったりだ。そんでMichelle Yeohが助演級な役で出ているのも、人種的なカオスという演出。それに、これだけの距離を短期間で移動する映画ってのは『赤い河』以来だという人もいるくらいあんまりない。車、電車、潜水艦、アイスモービル、飛行機っていうのけっこういいと思うな。まあ、ロードムーヴィーと言えるかどうかは分からんが。

話がこれで終わるのはたしかに納得いかないし中途半端な気はする。でも、この、陰鬱な未来のイメージってのはかなり上手いと思う。みんな、SF映画では未だに『ブレード・ランナー』を超えるものはないとかいうけれど、今はああいう一種ゴージャスな未来なんか描きはしない。まあ、ゴージャスもあり混沌もあったけどさ。でも、今、人々が実際に抱いているリアルな未来のイメージってのは、ほんとにこの映画が描いたような感じのものだと思うんだよね。その、誰もがもっている暗い未来のイメージってのを忠実に再現したからこそ、オリジナリティがないように見える。でもそれが私にはむしろ誠実なアプローチに思えるし、旧約的なギミックも新鮮だった。だから今はみんな文句いってるけど、今後リアル志向のSFつったら、これが一種のベースになると思う。まあ、そもそもリアル志向のSFなんてそう撮られないかもしれんが。



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2008年08月27日

Dave Filoni, Star Wars: The Clone Wars(クローン・ウォーズ), 2008

今月アニメ映画を三本みて、さらにこの映画の予告編を見たときにほとんど確信したことは、アニメ新時代が始まっているということだ。これはきっとすでに批評家たちが口を揃えていっていることだろうと思う。"Waltz with Bachir"は俳優の演技を排することで獲得するリアリティというものを提示し、アニメの分野を画期的に拡大した。従来のファンタジーやSFといった分野でも、アニメだけがなしうる表現があるということを"Wall-E"は改めて見せてくれた。『カンフーパンダ』も、従来実写で撮られてきたカンフー映画というジャンルを見事にアニメにしてみせた。そしてこの、『クローン・ウォーズ』は、最近のCGを多用したハリウッド映画が、いかにアニメにもともと近かったということを確認させてくれた。世界に衝撃を与えた『もののけ姫』から10年たった今、アニメは従来のジャンルの垣根を越え、かつてなく拡大しようとしている。

さて、『クローン・ウォーズ』は最近見た四本のアニメのなかで一番予想内の出来で、90分という時間といい、娯楽映画としてとても無難な仕上がり。戦闘のシーンなんかは実写版よりすごいくらいに書き込んでも面白いはずだけど、それはやらずに、アクションを丁寧に見せようという作り。ライトセーバーの戦いなんて昔のシリーズからあんまり変えようがないので苦労したと思う。でも、それなりに工夫をつけようとしているのは分かった。でも、『スター・ウォーズ』じゃなかったらもっと冒険できたのに残念だな、という思いと、いかにも初期の『スター・ウォーズ』みたいなお気楽な感じで嬉しいな、という思いとが中途半端に混じり合っている。そのへんが、評価を下げるところなんだけれど、まあしょうがない。

でも、個人的にはほんとに30年前の方のシリーズそっくりの、つうか当時はほとんどハリソン・フォードとC3POの役回りだったんだけど、ギャグを絶えず言っている感じが懐かしかった。展開自体もギャグっぽかったり。これっていかにもアメリカ的なノリだと思うんだけど、これの起源はやっぱりホークスあたりにあるんでしょうかねえ。

さて、この映画の使用法。『スター・ウォーズ』オタは真っ先に見てネットでの議論に没頭することができる。子どもは筋がとても追いやすいしセックスシーンもないので安心して楽しめる。テーィンくらいは字幕がなくても聞き取れるはずの英語で勉強できる。最後に、語学完璧の大人だとしても、子どものころを思い出して懐かしむくらいのことはできる。まあ、こういう息の長いシリーズだとどうしても欠点はあるものの、それを補ってあまりあるものがあるんじゃないでしょうか。



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2008年08月25日

Rémi Bezançon, Le premier jour du reste de ta vie(The First Day of the Rest of Your Life), 2008

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約二時間の上映時間が、五人家族一人一人に焦点を当てたチャプターに分かれているので、五人主役がいることになる珍しい映画。それぞれにとって「決定的な日」はそれぞれ違うので、時間が少しいったりきたりする。けれども、だいたい年代順になっているので、一家族の年代記という感じ。これが群像劇ではなく、家族一人一人を順番に描いた、というのがとても現代的。これは、別に心して見る必要はありませんが、なかなか名作だと思います。

それぞれのアヴァンチュール、愛の挫折、孤独、ほかの家族との関係、夢、などなどが各人ごとに語られていくので、観客はそれぞれに歴史があることを知り、五人ともに感情移入していく。家族全員に感情移入させる映画というのは今までに見たことがない。とくに、三人の子どもがいろいろありがならも成長していき、最後に満を持して登場するのが父親だという演出も憎い。最後のシーンで母親が取るほんのささいと言える美しい行動に至っては、不覚にも涙してしまったではないか。

うむむ、こえが二時間だというのが信じられない。ビバリーヒルズ2本ちょいくらいに、シリーズ一回分くらいつまっている感じ。映画ってのはこういうことができるんだなあ、ということを改めて思い知らされたなあ。でも、最後まで警戒を解かなかったのは、音楽の使い方があざといくらいに上手いからなんだよね。音楽なんかで感動してちゃあ悔しいじゃないですか。しかもルー・リードとか ボウイとかだし。というか、これは一種のロック映画としても楽しめるんです。バックに流れる音楽がとても印象的なんだよね。これ、古典的な使い方なんだけど、やっぱり上手い下手はあるんだよね。これが才能ってやつだ。


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2008年08月24日

Safy Nebbou, L'Empreinte de l'ange, 2007

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フランス映画の得意分野の一つ、サイコスリラーの佳作。これは予告編の出来がものすごいよかった。

リンク切れの場合は公式からどうぞ。

さて、 bande annonceでも印象的なバレエのシーンがハイライト。これはかなりすごい。舞台のそでで他人の子どもの演技を見つめるキャサリーヌ・フロに、彼女をちらちらと見るその女の子の視線のなんとも艶めかしいこと、そして、客席からなんとなくフロの存在を感じ取るボネール。この三者の視線の交錯。いやあ、とても映画的だ。やっぱりフランス映画とかって、純粋に映画的なシーンでぞくぞくさせてくれるね。このシーンだけでもこの映画見る価値ある。

で、とにかくフロの演技、というか、完全になりきっていて怖いんですけど彼女。ボネールに打ち明けるシーンなんかでは、話し終わった後の顔のなんともいえない表情が、演技ではとてもできないような類の本物の顔になっていてぞっとする。これは文句なく彼女の最高傑作なのではないでしょうかね。『女はみんな生きている』での愚鈍な女みたいな演技とは雲泥の差があるよね。とにかく、彼女の能面のような表情がとっても怖いんです。ヒース・レジャーのジョーカーなんかよりよっぽど狂気よっぽど怖い。

なんつーか、この監督さんはモンタージュが古典的な感じで上手いんだよね。一つのシーンでも、一つ一つのショットがうまくリズムを作るようにしているし、全体でも、シーンをとてもうまく配置して、緊張感をくずさない。基本はシナリオにどう演技させるかだけど、それを活かすも殺すもモンタージュとショット、編集とカメラなわけで、それが上手いってことがよくわかる。これ、習ってできるものじゃあないだろうから、やっぱり天性のものだよね。

そんで心臓に悪いこの話の結末は、なんとももやもやしたまま。そしてこれがまたすごい。どうしようもない感情とか、どうしようもない年月の重さ、みたいなものをそのまま観客に投げ出しているわけだけど、それは現実にそうであるしかないようなものなので、これは正しい、というか、とてもよくテーマを理解していると思った。というわけで、何を言っているか分からないと想うけど、子どもをお持ちの方や、ロリコンかわいい白人の少女が特に好きな方、スリラーが好きな人などにお勧めです。
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2008年08月22日

Chu Yen Ping, Kung Fu Dunk(カンフー・ダンク), 2008

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エリック・ツァンが若いカンフーできる男の子をバスケの選手に仕立てて大喜びの映画。えーとちょっと違うかかな。でも、エリック・ツァンがほとんど主役だったと言っても良いと思う。ジェイ・チョウもまあかわいかった。でも、チェン・ボーリンとかバロン・チェンとか無駄に豪華だよね。豪華な俳優に最高の技術者たちが結集して、なんだかわけわかんないすごいバスケ映画を作った。ほんとに変な映画だ。

とにかく、筋がものすごい適当。初めのいろんな設定がほとんど無駄。ものすごい適当にいろんなありがちなシーンをつなぎ合わせているって感じて、そのへんいかにも香港映画っぽい。でも、設定が終わったあたりの、バーでの戦闘のシーンなんかはかなり豪華な感じだし、香港も未来都市な感じで素敵だ。バスケ仲間の設定なんかもいかにもありがちな感じ。最後の敵なんかはいかにも『カンフーサッカー』だ。しょうもないラブコメもある。んで、それだけ適当に周辺的なものを並べて、ひたすら痛快なバスケシーンを中心に据えて、これだけ見られる映画になるのだから、香港映画の懐の深さみたいなのがよく分かる。でも、大半はエリック・ツァンのおかげなんだけどね。

どういうわけか『インファナル・アフェア』でも一番存在感のあったツァンだけど、ここでは本来の持ち味である好々爺を演じて当たり役だと思う。フレンチレストランの外の道でディナーをするシーンが、この映画の一番いいシーンになっているのも彼のおかげだ(彼の娘さんの女優さんもすごい)。だから、最後がこのシーンで閉じられるのはとても必然的なのだけれど、個人的にはシャーリン・チョイとのからみをもっと見せてほしかった。彼女どうしようもなくキュートだもんな。ツァンと彼女がいればどんな映画でもいいね、もう。

そうそう、この映画の売りであるバスケシーンも見事。やっぱりサッカーよりもバスケのほうが映画映えがするなあ、と思ったのだった。細かい動きが多いもんね。なので、バスケ映画なら別に無理してカンフーでなくても十分に面白いものになるのに、無駄にカンフーなのが香港映画。でも、はじめ主人公がうまくバスケでカンフーを使いこなせない感じなのはすごいよかったので、もっとそういうシーンがほしかったなあ。最後、時間まで戻しちゃうのは笑うしかないところで、2.5億円もかけたという豪華なシーンにはほんとにお口あんぐり。

水素よりも軽いノリの映画だけど、むしろそこがいい。役者もいいし、撮影もすごいけど。なんだか、それ以外の要素をどれだけ適当にしても大丈夫か、という実験映画なのか実は?という気もするけれど。しかしほんとにこの気の抜け方は香港映画だよなあ。いいよなあこういうテキトーな世界。とにかく、再びツァイさんに惚れ直し、チョイさんに惚れた映画でした。『ツインズエフェクト』も見よっと。



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